ス。女は思い嵩《こう》じて、脅迫観念のようなものを感じはじめているらしかった。すっかり連絡の絶えてしまった家族や亭主のことが日夜気にかかるあまり。
 伸子は蛋白というロシア語を知らないので困った。そればかりか、この女の体のなかにどんな病気があるのか、どうして伸子にわかることが出来よう。伸子はやがていいことを思いついた。レントゲン照射を受けたかどうか女にきいてみた。
「ああ。やられたよ、来て間もなしに一度と、またこの間。――ありゃ高くつくんだってね」
「心配はいりませんよ、あなたは組合員なんだもの。――医者は、あのレントゲンの写真を見て、まだ癒っていないっていうんだと思います。あなたはそれを見なかったにしろ、彼はよく見ていますからね、それが仕事なんだから……」
 いま女は伸子の病室の外まできこえるような声では話さない。日本の女が、襟の間に片手をさしこんで物思いするように、女は外套の襟のところへ手をさしこんでうなだれた。肩にふりかぶっている髪はこんがらかっていて雪明りのなかによごれて見える。
 伸子は、よけい重苦しくなった脇腹へ、ゴム湯たんぽをひっぱりあげながら、
「早くかえろうと思うなら、気を立てることは禁物ですよ」
と、疲れの響く声になって云った。
「鍋の下で火をたけば、病気もそれにつれて煮えたつからね」
 そして、一つの思いつきを女に提案した。同じ病室から退院する誰かに家の住所を教えて、子供に来るようにつたえて貰うように、と。伸子は大儀になって枕の上によこたわった。女はうつむいた頭をもたげて、あてもなく二重窓の外の雪景色に目をやっている。伸子にそっちの景色は見えない。二重窓は寝台のちょうど真上にあたるところにあるから。
 伸子の病室の人気なさと沈黙とが、その女の気分に最後のおちつきを与えたらしかった。彼女は、暫くすると自分に云いきかすように、
「じゃあまあ、当分辛抱してみることだね」
と、膝に手をつっかって、身をもちあげるように長椅子から立ちあがった。亢奮がすぎて彼女にも疲れが感じられて来たらしかった。
「お前さんは、よくわかるように説明したよ」
 そう云って、女はちらりと微笑に似た皺を口のはたに浮べて伸子を見た。そして、足をひきずるように伸子の病室から出て行った。

 お前さんはよくわかるように説明したよ。――何て組合の職場集会での言葉だろう。あのもつれた暗色の剛毛《こわげ》のたまのような女の感情の一部に、そう云う用語になじみきった一つの生活があって、ありがとうともお邪魔さまとも云わず、お前さんはよくわかるように説明したよ、とお礼のつもりで云って帰った。伸子はそこにやっぱりソヴェトとなってからの十年というものを彼女の生活としてうけとったのだった。
 こんな風なモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]大学病院での生活のうちに、伸子の病気は快癒するというより、どうやら徐々におちついてゆくという消極的な経過だった。二月も末になってからまだ右脇腹にのこっている重く鈍い痛みで上体をまげたまま伸子はやっと寝台から長椅子まで歩くようになった。

        十四

 そういう或る日、伸子にとっては一日で一番きもちのいい湯上りの時間だったにかかわらず、彼女は緊張した眼を病室の白い壁にくぎづけにして、考えこんでいた。その顔の上にめずらしい屈托があった。彼女の胸に生れた苦しい混乱した思いをてりかえして。
 伸子は、伸子の病気に対する故国の母親の心配ぶりをきょう思いがけない形でうけとったのだった。外国に駐在する大使館付の陸軍武官という立場の軍人がもっている様々な隠密の任務について、多計代はおどろくばかり無邪気で、ただ派手やかな役目という風にだけ考えているらしかった。さもなければ、多計代も一二度の面識しかない藤原威夫という陸軍少佐に、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で入院している娘の伸子の様子をよくしらべて、逐一《ちくいち》本国へ知らして呉れるようにとたのんだりはしなかったろう。話によれば最近この藤原威夫という少佐の義妹が、一人の若い医学士と結婚した。その医学士というのが、計らず、伸子もそのひとの父親にはおんぶされたりした覚えのある関係の家庭の長男で、結婚式には佐々泰造も多計代も出席した。その席で、偶然、義兄にあたる藤原少佐が或は近くモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]駐在になるかもしれないという話が出た。そのときはそれぎりだったのが、出立の二日前とかに多計代が使をよこした。そして出発の日が迫っているとしると、その日のうちにと、もう夜がふけたのに藤原威夫の郊外の住居を訪ねて、伸子の様子を見てもらうことをくれぐれもたのんだのだそうだった。あいにく自動車が家の前まで入らないもんですからかなりのところを車から降りて、さがしさがし歩いて来られたんで恐縮しました。よほど御心痛の様子でしたよ。くりかえして、私の目で見たあなたの様子をそのまま知らしてくれ、と云って居られました。ことのいきさつをそう説明されて、伸子として礼をいうよりほかにどうしようがあるだろう。
 伸子は病気の経過をずっと話した。いや。お目にかかるまでは、どんなに憔悴《しょうすい》しておられるかと思っていたんですが、この様子ならばもう大丈夫です。ひとつ、御安心なさるようによくかきましょう。四十をいくつか越して見える藤原威夫というその少佐は、若いときからかぶっている軍帽でむされて髪の毛がうすくなったのが五分刈の下からもわかる顱頂《ろちょう》部をもっていて、その薄はげと冴えない顔色とはかえって頭脳の微細な勤勉と冷静な性格を印象づけた。伸子たちが来た頃からモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]には木部中佐というアッタッシェがいた。その人の年中よっぱらっているような豪放|磊落《らいらく》らしい風と、きょう伸子の前に現れた藤原という少佐の人がらはひとめ見て対蹠《たいしょ》的であり、普通そうであるように、もとからのひとと新しいアッタッシェの交代が行われず、これからはこの、いかにも互に相補うといった性格の二人がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に駐在するのだそうだった。東支鉄道の問題、漁業権の問題でこのごろ日ソ国境に関心がたかまっている。そのことが浮んで、伸子にも新しく藤原威夫が加えられて来た意味が察しられるのだった。伸子にさえあらましはその任務の性質が察しられる陸軍少佐が、不思議な御縁で[#「不思議な御縁で」に傍点]佐々の家にとっては内輪のもののように多計代からたのまれて、伸子の前に出現した。家族に一人も軍人というもののない家庭に育ったせいと、関東地方の大震災のとき憲兵大尉の甘粕が、大杉栄と妻の伊藤野枝と甥の六つばかりの男の子をアナーキストの一族だというのでくびり殺して憲兵隊の古井戸へすてたことがあり、伸子はある場所で、その男の子の母親にあたる若い女の人が声を忍ばして泣く姿を見た。伸子の軍人ぎらいは骨にしみたものになっているのだった。
 伸子がこわく思うような粗剛なこわらしさは、藤原威夫のどこにもなく、この少佐は全体がはっきりしない色合で静かに乾いた感じだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]生活についてのあれこれ雑談の末、日本の天皇というものについてあなたはどう考えておられますか、と訊かれたとき、伸子はあんまりその質問が思いがけなかったからベッドの上で笑い出した。どうって。――あなたがたのような軍人さんは別かもしれないけれど、わたしたち普通の人間がそんなに天皇のことなんか考えているものなのかしら。――伸子には、そうとしか感じられなかった。すると藤原威夫は自分も薄く笑ってそりゃそうでもありましょうがね。と伸子の耳について消えない穏やかな執拗さで云った。御覧のとおりロシアではツァーを廃してこういうソヴェトの世の中にしているんだし、フランス革命のときだって、ルイ十六世をギロチンにかけたんですから、大体社会主義思想そのものに、主権の問題がふくまれているんでしょう。あなたは、大分ソヴェトのやりかたに共鳴しておられるらしいから、ひとつその点をおききして見たいんです。――伸子はみぞおち[#「みぞおち」に傍点]のあたりが妙な心持になった。これが雑談だろうか。伸子は、この質問のかげにぼんやり何かの危険を感じた。一般的に軍人に対する本能的ないとわしさがこみあげた。しかし伸子は自然な警戒心から自分の感情におこったいとわしさをおしころして、はじめと同じ調子で返事した。そりゃ、わたしはソヴェトの生活に興味をもっているし、感心していますけれど、だってそれは、ソヴェトのことでしょう? 日本は日本でしょう。あなたはどうお思いかしらないけれど、わたしはまだ革命家というものになってはいないのよ。理論は知らないんです。それは伸子のありのままの答えだった。じゃ、あなた個人の気持ではどうです? 藤原威夫は、同じおだやかなねばりづよさでなお質問した。日本に天皇はあった方がいいと思いますか、無い方がいいと思いますか。伸子はそういう風によくわけのわからないことを受け身に質問されては答えようとしている自分に腹立って来た。伸子は、ぽっと上気した。そして、どんな人が考えたって、在る方がいいものならあっていいだろうし、悪いものならないのがいいにきまってるんじゃないかしら。と早口に云った。そんなにおききになるのは日本に天皇があるのが悪いと思っていらっしゃるからなのかしら。伸子は、むっとして、変だと思うわ、とつぶやいた。どうして、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で天皇がそう問題になるのか。
 藤原威夫は、伸子の癇癪をおこしたような同時に問題を理解していないことがあらわれている答えかたを、青黒い、眼のくぼんだ顔の表情を動かさずきいていたが、やがて云ってきかすような口調で、日本の将来にとってあらゆる場合この天皇の問題が一番むずかしいし、危険な点でしてね、と云った。日本でも、共産主義者は、天皇制打倒を云っているんです。従ってこんど改正された治安維持法でも、第一条にこの国体の変革という点をおきましてね。きわめて重刑です。あなたも、社会についてどう考えられるのも自由だが天皇の問題だけは慎重に扱われたがいいですよ。藤原威夫は、タバコを吸わない人と見えて、長椅子にもたれている両腕を腕ぐみしたままこういう話をした。伸子がだまって彼のいうことをきいていると、藤原威夫は、声を立てない笑いかたで口のまわりを皺めながら、あなたのお母さんも、御婦人にはめずらしく深く考えておられると見えて、あなたの思想について御心配でしたよ、と云った。伸子は、胸のなかへ楔《くさび》をさしこまれるように肉体の苦痛を感じた。多計代が、伸子に対するあの昔から独特なひとり合点と熱中とでなまじい頭の動くまま、藤原威夫に何を話したのかと思うと、伸子はわが身のやりどころのない思いだった。それが伸子という娘に対する多計代の母の愛だというのは何たることだろう。伸子は、苦々しげに堅くほほえみながら云った。わたしは母にはもとから評判がわるくて。――さぞエゴイストだって云っていたでしょう。すると、藤原威夫はいま伸子を見ていると同じ冷静な表情で多計代をも観察したらしく、そうでもなかったですよ、と云った。感服もしておられたです。入院してからよこされたあなたの手紙にちっとも悲観の調子がないと云って。しかし、去年の夏ですか、弟さんが亡くなられたのは。それからあなたがちっとも手紙に思想上のことを書いてよこされなくなったのを心配しておられたでしょう。まあその点についても私からよく云ってあげましょう。
 多計代にとって、藤原威夫が何ものだというのだろう! 伸子は体がふるえる思いがした。多計代は、子供のことについては自分が誰よりも理解しているというくせに、現実ではいつも、思いがけない他人のわが子に対する批評をきいてまわり、その言葉に影響されている。保の家庭教師の越智の場合にしろ、そうだった。彼の主観的なまた性格的な批評が、そのまま多計代の伸子に対する感情表現にく
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