潤A1−7−82]の主な劇場は、シーズンをとおして一定数の入場券をいろいろな労働組合へ無料でわりあてるのだった。
 歌舞伎が来れば、どうせまたレーニングラードへも行くのだからと、旅のつづきのようにホテル住居している気分のなかで、伸子は言葉すくなに人々の話をきき、話している人々の顔を眺めた。
 八月のはじめデーツコエ・セローのパンシオン・ソモロフで、保が死んだ知らせをうけとってから、伸子はすこし変った。いくらか女らしい軽薄さも加っている生れつきの明るさ。疑りっぽくなさ。美味いものを食べることもすきだし知識欲もさかんだという気質のままにソヴェトの九ヵ月を生活して来ていた伸子は、自分が新しいものにふれて生きている感覚で楽天的になっていた。どこかでひどくちがったものだった。ソヴェトの社会の動きの真面目さから自分の空虚さがぴしりと思いしらされる時でも、その痛さはそんなに容赦ない痛さを自分に感じさせるという点でやっぱり爽快であった。
 保が死に、その打撃から一応快復したとき、伸子と伸子がそこに暮しているソヴェトとの関係は伸子の感じでこれまでとちがったものになっていた。保は死んでしまった。伸子はこれまでのきずなの一切からはたき出されたと自分で感じた。はたきだされた伸子は、小さい堅いくさびがとび出した勢で壁につきささりでもするようにいや応ない力で自分という存在をソヴェト社会へうちつけられ、そこにつきささったと感じるのだった。
 こんな伸子の生活感情の変化はそとめにはどこにもわからなかったが外界に対して伸子を内気にした。ソヴェト社会につきささった自分という感じは、しきりにモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来る歌舞伎の噂でもちきっている人々の感情とは、どこかでひどくちがったものだった。伸子はそのちがいを自分一人のものとしてつよく感じた。保の死んだ知らせが来たとき、伸子は失神しかけながらしつこく、よくて? わたしは帰ったりしないことよ、よくて? とくりかえした。ソヴェト社会につきささった自分という感じは、この、よくて? 帰ったりはしないことよ、と云った瞬間の伸子の心に通じるものであった。同時に、パンシオン・ソモロフの古びた露台の手摺へふさって、すべての過去が自分の体ぐるみ、うしろへうしろへと遠のいてゆくようなせつな、絶壁にとりついてのこっている顔の前面だけは、どんなことがあってもしがみついているその場所からはがれないと感じた、あの異様な夏の夕暮の実感に通じるものでもあった。
 伸子は素子と自分との間に生れた新しいこころもちの距離を発見した。保の死から伸子のうけた衝撃の大きいのを見て、ヴォルガ下りの遊覧やドン・バスの炭坑でシキ[#「シキ」に傍点]へ入るような見学を計画したのは素子であった。それはみんな伸子を生活の興味へひき戻そうとする素子の心づかいだった。そうして生活へ戻ったとき、伸子はソヴェト社会と自分との関係が、心の中でこれまでとちがったものになったのを自覚した。素子は、もとのままの位置づけでのこった。この間までの伸子がそうであったように、素子は自分をソヴェト社会の時々刻々の生活に絡めあわせながらも、一定の距離をおいていて、必要な場合にはどちらも傷つかずにはなれられる関係のままにのこっていた。
 自分と素子とのこのちがいは切実に伸子にわかった。そして、伸子はその変化を議論の余地ない事実として素直にうけいれた。弟の保に死なれたのは素子ではなくて伸子であった。その衝撃が深く大きくて、そのためにこれまでの自分の半生がぽっきり折り落されたと感じているのは、伸子であって素子ではなかった。その結果伸子は、ソヴェト社会につきささった自分という不器用で動きのとれないような感じにとらわれ、そのことにむしろきょうの心の手がかりを見出している。その伸子でない素子が、生活を数年このかた継続して来たままのものとして感じており、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の生活で蓄積されてゆく知識や見聞をそれなりに意識していることは自然であり、当然でもあった。伸子と素子とはこういう状態で、外国にいる日本人にとってお祭りさわぎめいた出来ごとであったモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来た歌舞伎の賑《にぎ》わいにはいって行った。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に駐在する日本の外交官たちの生活が、どんな風に営まれているものか伸子たちの立場では全然うかがいしられなかった。いずれにしろ、いわゆる華やかなものでもなければ、闊達自在な動きにみたされたものでもないことは、大使館の夫人たちの雰囲気でもわかった。歌舞伎が来たことは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる日本人全体に活気をあたえ、日本の外交官もいまはソヴェトの人々に示すべき何ものかをもち、ともに語るべきものをもったというよろこばしげな風だった。
 歌舞伎についていろいろな人がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]からレーニングラードへゆき、またレーニングラードからモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来た。前後してドイツにいた映画や演劇関係の人たちも数人やって来た。
 伸子は、たのまれて映画と演劇という雑誌に鷺娘の解説の文章をかいた。日本語で書いたものをロシア語に翻訳してのせるということだった。どうせ考証ぬきの素人がかくことだからせめて文章そのものから白と黒との幻想に描きだされる鷺娘のファンタジーを読者につたえようと努力した。日本の古典的な舞踊の伝統の中に、さらさらとふりかかる雪と傘とがどんなに詩趣を添える手法として愛されているかということなどもかいた。
「どうせわたしにわかる範囲なんだから単純なことなんですけれどね、一生懸命に書いているうちに、段々妙なきもちになって、こまっちゃった」
 そう話している伸子とテーブルをはさんでかけているのはドイツから来ている映画監督の中館公一郎と歌舞伎の一座の中で若手の俳優である長原吉之助、素子、そのほか二三人の人たちだった。場所はボリシャーヤ・モスコウスカヤ・ホテルの部屋だった。中館公一郎があしたソヴ・キノの第一製作所へエイゼンシュタインの仕事ぶりを見学にゆく、伸子たちも一緒にということで、伸子たちはその誘いをよろこんでうち合わせに寄ったのだった。
 歌舞伎の俳優たちは左団次を中心に、短い外国滞在の日程を集団的に動いていて、個人的な自由の時間がなかなか見つからないらしかった。その忙しいすきに何かの用で中館のところへ話しに来ていた長原吉之助は、遠慮がちにカフスのかげで腕時計を見ながら、
「いま、佐々さんの云われた妙なきもちっていうの、全く別のことなのかもしれないんですが、わたしはここの舞台の上でちょくちょく感じることがあるんです」
 歌舞伎の俳優としては例外なようにざっくばらんな熱っぽい口調で吉之助が云った。
「それ、どんな気持?」
 どこまでもくい下ってゆく柔らかな粘着力とつよい神経を感じさせる中館が、それが癖のどこか女っぽい言葉で吉之助にきいた。
「言葉の通じない見物を前へおいての舞台って、そりゃたしかに妙だろうな」
「その点は案外平気なんです。せりふがわからないからかえってたすかるみたいなところがあるんです。こっちは、土台、せりふがわからない見物を芸でひっぱって行く覚悟でやっているんですから」
「それは見ていてわかりますよ」
と素子が、永年芝居を見ているものらしく同感した。
「左団次だって、よっぽどまじめに力を入れてやってますよ。その意味じゃ、ちょいと日本で見られないぐらいの面白さがある」
「文字どおり水をうったようだねえ、ソヴェトの人に面白いんだろうか。こっちの見物には女形《おやま》なんてずいぶんグロテスクにうつるわけなんだろうのに、反撥がないんだね。そこへ行くと映画にはお目こぼしというところがなくってね」
「そうでしょう? お目こぼしのないのが芸術の本来だって気がするんです。ふっと妙なこころもちがするっていうのもそこなんです。舞台でいっぱいに演《や》ってますね、そんなとき、ふいと、こんなに一生懸命にやっている芸にどこまで価値があるんだって気がするんです」
 吉之助は、青年らしい語気に我からはにかむように、薄く顔をあからめた。
「たしかに歌舞伎は日本独特の演劇にはちがいないんですけれどね――忠臣蔵にしろ、自分でやりながらこの感情がきょうの私たちの感情じゃないって気がつよくするんです」
「そうだわ、わたしが鷺娘の幽艷さを説明しようとして、妙な気もちがしたのもそういうとこだわ」
 伸子が賛成した。
「どんなに力こぶを入れて見たって、鷺娘には昔の日本のシムボリズムとファンタジーがあるきりなんですもの……しかもああいう踊りの幻想は、古風なつらあかり[#「つらあかり」に傍点]の灯の下でだけ生きていたんだわ」
「――桑原、桑原」
 中館公一郎がふざけて濃い眉をつりあげながら首をちぢめた。
「吉ちゃんの云っているようなことが御大《おんたい》にきこえたら、とんだおしかりもんだろう」
 だまって笑っている吉之助に向って素子が、
「あんたがた、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来る前に一場の訓辞をうけたって、ほんとですか」
ときいた。
「左団次が一同をあつめて、ロシアへは芝居をしに行くんだっていうことを忘れるな、赤くなることは禁物だって云ったって――」
 吉之助はあっさり、
「そんなこと云わせるものもあるんですね」
と答えた。
「こんどこっちへ来るについてだって、それだけの人間をひっこぬかれるんならいくらいくらよこせって、会社側じゃ大分ごてたんだっていうじゃありませんか」
 素子の話に答えずしばらく黙っていた吉之助は、
「歌舞伎も何とかならなくちゃならない時代になってます。ともかく生きてる人間がきょうの飯をくってやっていることなんですから」
 やがて時間がなくなって、長原吉之助はさきに席を立った。
 柄の大きい、がっしりした吉之助の背広姿がドアのそとへ消えると、素子は感慨ぶかそうに、
「歌舞伎生えぬきの人がああいう心もちになってるんだものなア」
と云った。
「案外、云わせてみりゃ、ああいうところじゃないんですか」
 歌舞伎の伝統的な世界の消息にも通じている中館は、若い俳優たちの動きはじめている心に同感をもっている口調だった。
「なんせ、あの世界はあんまりかたまりすぎちまっていてね。いいかげんあきらめのいいやつでも、こっちへ来て万事のやりかたを見りゃ、目がさめますよ、おいらも人間だったんだってね、同じ役者であってみれば、こういうこともあってよかったんだぐらい、誰だって思ってるでしょう」
 レーニングラードのドラマ劇場の楽屋で、鏡に向って顔を作っている左団次のうしろに不機嫌なあおい顔をして、ソファにかけていた左団次の細君の様子を、伸子は思い出した。楽屋のそとの廊下で伸子たちを案内して行った中館が顔みしりの若い俳優に会った。中館が、令夫人もいるかい? ときいたら、半分若侍のこしらえをしたその俳優は、ええ、と答えて、何か手真似《てまね》をした。へえ。そうなのかい。中館はちらりと唇をまげた。ここ[#「ここ」に傍点]でまで、うちどおりにやろうったって、そりゃきこえません、さ。下廻りだって、ここじゃれっきとした演劇組合の組合員ってなわけなんだそうですからね。若い俳優は目ばりを入れた眼じりから中館に合図して、ごたついたせまい廊下を小走りに舞台裏へ去って行った。
 そんな前景をぬけて、楽屋へとおり、粋《いき》な細君のあおいほそおもてを見た伸子は、歌舞伎王国を綿々と流れて大幹部の細君たちの感情とまでなっている古い格式やしきたりを、理解できるように感じた。白粉《おしろい》の匂いや薄べりの上にそろえられている衣裳。のんきそうで、実ははりつめられている癇が皮膚にあたるようなせまい楽屋のなかで、伸子は何を話していいかわからないで黙っていた。
 手もちぶさたでぎこちない伸子にひきかえ、黙ってタバコをふかしているそのおちつき工合にも素子は、楽屋馴
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