A次の日になってから、散歩している公園の橋の上でふっと云った。黙っていて、やがて伸子は確信があるように断言した。
「父じゃないわ、それはたしかよ。もしそんなことなら、別な電報のうちようがあるもの。――それに……たしかに大丈夫!」
 伸子は、もし万一父の身の上に変ったことでもあれば、あの電報があんなにはっきりとそれにさからう心持を自分におこさせる筈はないと思った。最近は父というものについても伸子の心にこれまでとちがった判断が加えられて来ていたけれども、まだ伸子は仲のいい父娘としての心のゆきかいを信じていた。多計代に変ったことのないのは、あの電文そのものが、多計代の娘に対する物云い癖をそのままあらわしていることでたしかだった。家族の一人一人の消息を心のうちに反復してみても、伸子には見当がつかなかった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]を立って来るとき受けとったハガキで、保が、この夏は大いに自転車ものりまわし愉快にやってみるつもりですと書いてよこしていた。その文章も、伸子はよくおぼえていた。
 デーツコエ・セローの郵便局から伸子がジジヨウシラセと東京の家へ電報した三日目の夕刻だった。パンシオン・ソモロフの人々は茶のテーブルに向っていた。その午後、伸子は東京からの返電をまっている心持があんまり張りつめて苦しいので、素子につれ出されて四|哩《マイル》も散歩して帰ったところだった。お給仕のダーシャから二杯目のお茶をうけとって、牛乳を入れているとき、玄関の呼鈴《よびりん》が鳴った。
 食堂とホールとの境のドアは、夏の夕方らしくパーヴェル・パヴロヴィッチの背後で左右に開けはなされている。食堂から玄関へ出て行ったダーシャが、戻って来ると、パーヴェル・パヴロヴィッチの左側をまわって、伸子の方へ来た。彼女の手に電報がもたれている。伸子は、思わずテーブルから少し椅子をずらした。
「あなたに――電報です」
「ありがとう」
 たたまれている黄色い紙をひらいて、テープに印刷されて貼られているローマ字の綴りを克明に辿ると、伸子はテーブル仲間に会釈することも忘れて食堂を出た。一足おくれて素子も席を立って来た。ホールの真中で伸子は電報をつきつけるように素子にわたした。八ガツ一ヒタモツドゾウチカシツニテシスアトフミ。
 ものも言わず二階へあがる階段に足をかけたら、伸子は体じゅうがふるえはじめてとまらなくなった。てすりにつかまって一段一段のぼって行きながら、伸子ははげしく泣き出した。泣きながら階段をのぼりつづけ、のぼりつづけて泣きながら、てすりにつかまっていない左手をこぶし[#「こぶし」に傍点]に握って伸子は身をもだえるように幾度もいくたびも空をうった。何てことをしたんだろう。保のばか。保のばか。とりかえしのつかない可哀そうさ。くちおしさ。――よろよろしながら伸子は自分の室へ行く廊下を異常な早足で進んだ。もうじき室のドアというところで、伸子は不意に白と黒との市松模様の廊下の床が、自分の体ごとふわーともち上って、急に下るのを感じた。

 伸子にはっきり思い出せるのは、そこまでであった。それからどういう風にして自分がベッドへつれこまれたのだったか、素子が涙に濡れた顔をさしよせてしきりに自分の肩へかけものをかけてくれたのや、夜だったのか昼間だったのかわからないいつだったかに、素子が、ぐらぐらして体のきまらない伸子をベッドの上にかかえおこし、伸子の顔を自分の胸にもたせかけて、
「駄目じゃないか! ぶこ! どうするんだ、こんなこって! さ、これをのんで……」
 スープをひとさじ無理やりのまされたことなどを、きれぎれに思い出せるだけだった。それからもう一つ、自分がしつこくくりかえして、よくって? わたしは帰ったりしないことよ。よくって? と云ったことと、そのたんびに素子が、ああいいよ、わかってる、わかってる。と力を入れて返事して涙をこぼしたことなどを思い出すことが出来た。

 夢とうつつの間で伸子はまる二日臥ていた。どの位のときが経ったのかそんなことを考えてみる気もおこらないほど長い昼寝からさめたような気分で、伸子は三日目のひるごろ、ほんとに目をさまして自分の周囲をみた。
 伸子が目をさましたとき、その狭い室のなかには臥ている伸子のほかに誰もいなかった。明るい静かな光線が小さい室の白い壁いっぱいにさしていた。テーブルの上のコップに、紫苑《しおん》の花のような野菊と、狐のしっぽのような雑草とがさしてある。コップにさしてある雑草はあの日に、遠い野原で伸子が自分でつんだものだった。すべてのことが、はっきり伸子に思い出されて来た。八ガツ一ヒタモツドゾウチカシツニテシス。――保は死んでしまった。波のようなふるえがシーツにくるまって臥ている伸子の下腹から全身に立った。八ガツ一ヒ。鋭い刃もので胸をさかれる悲しさがあった。ドゾウのチカシツ。――
 胸に手をやって痛いところを抑えずにいられないほど悲しさは鋭いのに、伸子の眼からは不思議にもう涙がでなかった。そのかわり、まるであたりの空気そのものが悲しみそのものであるかのように、ちょっと体を動かしても、首をまわしても、伸子は息のつけないような悲しみのいたさを感じるのだった。
 足もとのドアがそっと開けられた。素子が入って来た。眼をあけている伸子をみると、
「めがさめた?」
 素子が強いてふだんの調子をたもとうとしている言いかたでベッドに近づいて来た。
「大分眠ったから、もう大丈夫さ。――気分ましだろう?」
「ありがとう」
「ともかく電報をうっといたから……」
 伸子の感情を刺戟しまいとして素子は事務的な方面からばかり話した。
「ぶこちゃんは帰らないということと、お悔《くや》みをうっといた」
「それでいいわ。ありがとう」
 次の日、素子に扶けられて、伸子はアベードの時だけ食堂へ下りた。食後、テーブルについていた人々が、一人一人伸子に握手して悔みをのべた。ロシアの人としては小柄で、頭のはげているヴェルデル博士は、彼の真面目な、こころよい黒い瞳でじっと伸子の蒼ざめている顔を見ながら、
「あなたが勇気を失わずに居られることは結構です。あなたはまだお若い。生きぬけられます」
 信頼をこめてそう云って、執ったままいる伸子の手の甲を励ますようにねんごろにたたいた。
「ありがとう」
 泣きださないで礼をいうのが伸子にやっとだった。ヴェルデル博士のやりかたは、あんまり父そっくりだった。泰造も、伸子の手をとることが出来たら、きっとそうして伸子と自分をはげましただろう。
 やがて、伸子は、食事のたびに食堂へ出るようになった。けれども、伸子の状態は、重い病気からやっと恢復しかかっているひとに似ていた。まだごくひよわいところのある恢復期の病人が、微かなすき間や気温のちがいに過敏すぎるとおり、伸子は人々の間に交って食卓に向っているようなとき、何か自分でさえわからないきっかけで、不意に「八月一日」とはっきり思うことがあった。するとたちまち悲哀のさむけ[#「さむけ」に傍点]が伸子の全身を顫《ふる》わせた。何心なくものをのみ込もうとしているとき、前後に何のつながりなくいきなり、保は死んでしまった、と思うことがあった。古くなって光った制服の太い膝をゆすったり、紺絣の着物の膝をゆすっているときの保、柔かい和毛のかげをつけた若いおとなしい口元、重いぽってりした瞼の形、可愛い保の俤《おもかげ》は迫って、伸子はものをのみこむどころか息さえつまった。伸子の悲しみは体じゅうだった。その体に風が吹いても悲傷が鳴った。
 喪服をつけるというようなことを思いつきもしなかった伸子は、相かわらず白麻のブラウスにジャンパア・スカートのなりで、素子の腕につかまりながら、ほとんど一日じゅう戸外で暮した。結局たれ一人、保が生きられるようにはしてやれなかった。この自責が伸子をじっとさせておかないのだった。ひとはてんでに、生きるようにして生きている。そのひと[#「ひと」に傍点]のなかに、兄の和一郎も姉の伸子も、父母さえもおいて保は一人感じつめたのだと思うと、伸子の唇は乾いた啜り泣きでふるえた。
 伸子は、保の勉強部屋の入口の鴨居に貼られているメディテーションという小紙に、あんなに拘泥していた。いつだってそれを気にしていた。だけれども、それだからと云って自分がソヴェトへ来ることをやめようとはしなかった。自分の生きることが先だった。デーツコエ・セローの大公園の人目から遠い池の上に架かった木橋の欄干にもたれて、そこに浮いている白い睡蓮の花を見ながら伸子は考え沈んでいた。
 保は、おそらく、あんなに執拗に追求していた絶対の正しさ、絶対の善という固定したものを現実の生活の中に発見できない自分と和解できなくて、死んでしまったのだろう。保が恋愛から死んだとは伸子にどうしても思えなかった。伸子がそう感じていたくらいだから、保の同級生はどんなにか佐々保を、家庭にくっついた息子だと思っていたことだろう。母の云うことにはがゆいばかり従順だった保が、母の情愛の限界も知って、死んだ。そのことも伸子のこころをひきむしった。越智がまだしげしげ動坂の家へ来て母が客間に永い間とじこもっているような頃、保が、伸子に向って、越智さんが来るとお母様どうしてお白粉《しろい》をつけるんだろう、と云ったことがあった。伸子はそのときのはっとした思いを忘られなかった。多計代は、誠実とか純潔とかいうことを保あいてに情熱的に話すのが大好きだったが、もしかしたら保は次第に母と越智との現実に、母の言葉とちぐはぐなこともあったことを感じはじめていたのではなかったろうか。保は、母の話におとなしく対手になりながら、あのふっくりした瞼のかげに平らかにおいた瞳のなかで母のために愧《はずか》しさを感じていたのではなかったろうか。
 相川良之介のように複雑な生活の経験がなく、また性格的に相川良之介のように俊敏でない保に、生きるに生きかねる漠然たる不安というようなものがあったとは伸子に思いかねた。二十一歳の保は、一本気に自分流の観念に導かれて、その生きかたを主張する方法として死ぬことを選んだのだったろう。いずれにしろ、保はもう生きていない。生きて、いない――何という空虚感だろう。その空虚の感じは伸子の吸う息と一緒に体じゅうにしみわたった。そして保がもういないという空虚感には、九つ年上の姉の伸子が、保というものを通じて、漠然と自分よりも年のすくない新鮮な男たちにつないでいたいのちの断絶も加わっていた。兄とはちがう姉の女の心が、三十歳の予感にみたされた感覚で、弟の大人づいてゆく肉体と精神に関心をよせていた思いの内には、そのこころもちをとらえて名づけようとするともう消えて跡ないようなにおやかさもあった。

 落胆のなかをさまようように、伸子はデーツコエ・セローの森のなかを歩きまわった。伸子のかたわらにはいつも素子がついていた。伸子の悲しみの深さで、日頃はちらかりがちな自分の感情をしんみりと集中させた素子が、伸子と一つの体になったような忠実さで、ついていた。伸子は折々びっくりして気づくのだった。こんなに素子がしてくれるのに、何時間も口をきかずにいて、ほんとにすまなかった、と。
「ごめんなさい――心配かけて」
 伸子は、心からそう言って素子の腕を自分のわきへおしつけた。
「いい。いい。ぶこ。よけいなことに気をつかうもんじゃない」
「だって……いまになおるからね」
「――いいったら!」
 しかし、しばらく歩いているうちに、伸子はまた素子のいることを忘れ、しかも伸子は素子の腕につかまって、やっと森かげの小みちを歩きつづけることができるのだった。
 日曜日になると、朝早いうちからいつものようにデーツコエ・セローの停車場へはき出された青年男女の見学団が、ぞろぞろとパンシオン・ソモロフのヴェランダの前の通りを通って行った。終日浮々したガルモーシュカの響がきこえ、笑い声や仲間を呼んで叫ぶ声々が大公園にこだました。伸子はそういう日は公園へ出てゆかず、パンシオンの古いヴェランダにいた。そ
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