髢I谷良作がヴォージラールのホテルのテラスで伸子に説明してきかせたように、クロア・ド・フウはフランスで、最もよく武装されたファシスト団体だった。フランス共産党の内部に悪質なトロツキストの秘密組織があるらしいことは、八月一日の反戦示威の直前、サン・ジョルジュで中央部の会合が一斉に検挙されたことにふれて蜂谷も云っていたことだった。こんどの検挙も怪しいものだ。蜂谷がそういう意味は、党を混乱させ、指導権を握っているために、労働組合の統一戦線を主張している人々をふくむ中央部に対してその一味が企んだ挑発と内通であるという意味なのだった。
 伸子の視線を追って、黄色いビラを見ていた蜂谷良作は、やがて、
「ね、佐々さん」
 伸子をゆりうごかすような口調で云った。
「ともかく、あしたクラマールの家をごらんなさい。そして、クラマールへ来ることにおきめなさい。一緒に勉強しよう」
 彼はつづけて云った。
「少くとも僕は、佐々さんと話するようになってから、実に刺戟をうける。この勢で、僕もひとつがんばるんだ」
 蜂谷良作のパリ滞在も、あと一年はないのだった。


    第三章


        一

 みつきのあいだに、そこの棚、あの隅とひろがっていたペレールでの生活をたたんで、佐々のうちの者たちは荷造りし、約束の日に家の持主であるやせぎすな中年夫人が来て、台帳とひき合わせながらアパルトマンに備えつけの家具、食器類、台所の鍋類までの引き合わせをした。紛失しているものはないか、新しく破損された箇処はないかを調べ、多計代が寝ていた寝室だけのこしてそのほかのすべての室の戸が順々にあけたてされた。
 その朝になって、つや子がこわしたままになっている二つの朝食用のコーヒー茶碗が思い出された。それを思い出したのは、つや子でも多計代でもなく、泰造であった。伸子はおおいそぎでタクシーをひろって百貨店へかけつけ、家具しらべがはじまるまでにセーブル製の似よりの品を買って補充した。
 多計代がもって帰るフランス人形のことでも悶着がおこった。つや子が欲しいと云って、黒と赤ふた色でカウ・ボーイのなりをした大きいフランス人形を伸子が買って来た。それを見て、多計代もほしいということになり、また伸子は百貨店へ出かけた。そして、母のために、優美だし清楚だとも思った羊飼い娘の人形をもとめて来た。桃色のリボンで飾られた金色の杖をもって、あっさりと可愛らしい小花模様の服をつけて足をなげ出している羊飼い娘の姿は、それだけ見ていても、その背景に花盛りのリンゴ樹やえにしだ[#「えにしだ」に傍点]のしげみが想像されるようだった。ところが、上機嫌でボール箱をあけて人形をとりだした多計代は不満で、やがて目に涙を浮べて伸子の冷やかさをせめた。わざわざパリから買って帰るのに、なにも羊飼い娘の人形でなくたっていいじゃないか。よりによって木綿の服をきた人形を買って来るなんて。――そんな当てこすりをされるおぼえは多計代にない、というのだった。伸子は、予想もしないことだった。十八世紀の婦人扇の絵に描かれてでもいるような羊飼い娘だということや、その服が木綿だということが、多計代の感情にこういう風に映ろうとは思いもよらなかった。伸子はすぐその人形をボール箱にしまって、百貨店へもどった。そして、こんどはポンパドール風に着飾った貴婦人人形をえらび出した。杏色がかったフランス独特のピンクの絹服の裾に、幾重もかさねられた純白のレースのペティ・コートが泡立つようにのぞかれて、同じ杏色の日よけ帽から、白い仮髪《かつら》の捲毛がこぼれている。細い手に黒いすかしレースの指なし手袋まではめているこの人形は、その服装の約束どおり、左の頬の下にかき黒子《ほくろ》をつけている。その人形は、多計代の気に入った。さて、きょう、午後三時二十七分に北停車場から立つという昼ごろになって、そのかさばる人形をどうやって手荷物の一つとしてもってゆくかが問題になった。伸子は外へ出た。そして柳製の長方形の軽い大籠を見つけて来た。この間磯崎須美子とプランタンで鞄をさがしていたとき、その売場のどこかに、そういう籠のつんであるのを見たことを思い出したのだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でも似たような大籠がつかわれている。かすかな郷愁をもって伸子は目をひかれたのだった。
 あれからこれへとごたついて、そのごたごたはどれも下らないことばかりだった。けれども、それらはどうしても出発までに何とか解決されなければならないことで、解決するのは伸子の役目だった。まだ多計代が寝ている寝室だけよけて、台帳をもった家主夫人がアパルトマンの室から室へ調べて歩く事務的なやりかたも、多計代にとっては、パリ生活の最後の日を追い立てられているような感じを与えるだけだった。それぞれ用事にかまけて働いている泰造や伸子が、しんみりと多計代の話し相手になっていられないことも、冷淡な雰囲気として多計代をいらだたせ、そういう気分はみんな一つ流れとなって伸子にそそぎかけられるのだった。
 出発の数時間前、蜂谷良作と、哲学の勉強をしている野沢義二とがペレールへ来て、最後のばたばたに泰造をたすけた。北停車場の広いプラットフォームで、見送りに来ている人々の一人一人に万遍なく挨拶をし、握手している泰造の帽子をぬいだひろい額から気づかわしげな緊張の表情が去らなかった。
 多計代とつや子とは車窓の前に立って、光線の足りないガラスの内部から、プラットフォームを見ている。伸子は、父が、こんどの家族同伴の旅で疲れたのをはっきり感じた。多計代もやつれている。けれども、やつれて自身の病弱を主張し、気がむずかしくなっている妻をつれている泰造には、別な深い疲労のあることが感じられ、それは伸子にぼんやりした不吉感を与えるのだった。疲れにうちかってよそめには快活にさえ見える父の素振りに目を凝らしていた伸子は、泰造が自分の前へ来て、
「じゃ、気をつけるんですよ」
と握手したとき、喉の奥から急にかたまりがこみあげて来て、やっと、
「お父様も。どうぞ」
 つまった声で云った。
「モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へお着きになれば、万事吉見さんがとりはからってくれるはずですから」
 泰造はもう一度伸子の手を握りなおし、立っている人々一同に挨拶すると、列車のステップに立って、こちら向きに立った。ほとんどそれと同時に列車がすべりだした。つや子があわててステップへ出て来た。そして泰造のうしろからのり出して、伸子に向っていくども手を振った。
 ――埃っぽい小さい旋風が遠ざかってゆくように佐々のうちのものはパリを出て行く。伸子を一人のこして。目の前から去ってゆくほこりっぽい旋風はこの三ヵ月の間、伸子の皮膚をちくちく刺しつづけた。そのかすかなみみずばれや、痛みが、伸子にのこされた佐々の家庭の風変りな情愛のしるしだった。
 けさ、もう家主の帳簿の上では返却記載ずみの食器で朝の食事をしていたとき、バルコンに向ってテーブルについていた泰造が急に半白の髭のある顔を上気させ、
「このガキ、ひとりのこして帰ると思うと可哀そうだ」
 早口にそう云って、クッという音を立てながら涙をこぼした。三十歳になっている伸子を、わざとガキという表現で冗談まぎらしにいう泰造のこころもちが、伸子の心の底にまで徹った。
「だってお父様、志願してそうしたのよ、わたし」
 晴れ晴れした声でそう答えた伸子は、父の感傷を深めまいとしたのだった。
「ほんとにねえ。……折角、こうやってみんなで暮したのに――」
 多計代がナプキンをとりあげて瞼にあてた。
「お母様、もらい泣きしないでよ、ね」
 そう云ったのも、伸子とすれば、一座を元気づけ明るくしようとするためだった。しかし、結果は逆になり、多計代は、伸子がもらい泣きと云った言葉にこだわった。
「他人のマダム・ルセールでさえ、わたしの手に接吻して泣いたのに――伸ちゃんは、ちがったもんだよ、よくもよくも、もらい泣きだなんて云えたものだ」
「お母様、でも、お父様がさきだった」
 少女らしい几帳面さで云い出したつや子の膝を、つついて、伸子はだまらせた。
「そういうもんじゃありませんよ。伸子だって、われわれを機嫌よく立たせたいと思って、いろいろやっているんだ」
 いま、それを云い出すのが真実の思いなら、多計代はどうしてきょうになるまで、伸子にとってはわけのわからなかった用心ぶかさで、パリに残ってあとからモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰ろうとする伸子のプランと、自分たちだけでシベリア経由で帰るときめたプランとの間に、けじめをつけて来ただろう。むしろ情愛的に云われたもらい泣きという表現は、多計代につきもどされて伸子の心に帰ったとき、とげとなって伸子を刺した。多計代と伸子とは、そのこころもちのままペレールの家を出て北停車場へ行き、その心のまま、プラットフォームの上と下とで、うすぐらいガラス越しの顔を見合った。そして多計代はパリを去った。良人につれられて、というよりも良人と末娘とをひきつれて。

 その日の、午後七時に、磯崎須美子もリオン停車場から出発してマルセーユへ向った。
 空屋になったペレールの家へ、伸子は、蜂谷良作と野沢義二の三人づれで戻った。親たちがけさまで使っていた敷布類やテーブル・クローズなどが洗濯に出すために畳まれて、人気ない食堂のテーブルの上にきちんと置かれていた。マダム・ルセールは、もう帰ってしまっていない。
 伸子がこれから引越してゆくクラマールの下宿は、住居とは別に、かなり大きい洗濯屋をやっているのだそうだった。そちらへ帰る蜂谷良作が、シーツ類を包んだ重い紙包みをあずかった。野沢義二とはペレール広場で、蜂谷良作とは、デュト街へ曲るヴォージラールの角でわかれて、伸子は、磯崎須美子の住居へ行った。もう門口にタクシーが待っていた。下宿のマダムが、白ずくめのなりをした、ひよわそうな小さい子供を抱き、毛皮のハーフ・コートの下に明るい灰色の服をつけた須美子が、両方の手に一つずつ、伸子と一緒にプランタンで買った茶色の真新しい鞄を下げて、タクシーにのった。須美子のスーツ・ケース二つをあずかっている青年は、磯崎の葬式の折も内輪にはいって須美子の介添えをしていた人であった。
 国際列車が出発する北停車場のプラットフォームは閑散で、気の利いた旅行具を手押車につんで運んでゆく赤帽が目立っているくらいだった。国内旅行者のためのリオン停車場では、パリ市民の日常に溢れている生活のこみあいがそのままそこにあった。マルセーユ行の夜行列車の明るい車内で立ったり動いたりしている人影は、伸子が親たちの出迎えに立った五月末の夜のとおりに賑やかだった。
 須美子は、三年前、恭介と一緒にホノルルからフランスへ来てこのリオン停車場におりた。今夜、一人のこった赤坊をつれて、一方の腕に恭介を、もう一つの腕に子供のはいっている鞄を下げて、日本へ向って立って行こうとしている。須美子の姿は、それが車室の棚に鞄をおいているときも、それがすんでプラットフォームにおりたときも、一人の悲しみに耐えているいたましさで伸子を落付かせなかった。先刻、北停車場から立って行った佐々の人々は、つや子までをこめて、何とそれぞれに人生への要求の多い人々だったろう。彼らは、その要求の一つを行動するかのようにパリから出発して行った。伸子が、パリにのこるということで伸子としての要求をあらわしているように。
 須美子が、ね、というように車室の荷物棚の上におかれた二つの茶色鞄を目でさして、
「船では、ごくあたりまえの手荷物のようにして来てくれということですの。――喪服もおこまりなんですって」
 しずかにそう云って、須美子がおかっぱの濃い前髪と美しい調和をもっている銀灰色の絹服に目をおとしたとき、伸子は、うちのものを送ったあとの心もちと須美子への同情とでみだれる感情を抑えきれなくなった。
「ね、須美子さん、わたし何だか、あなたをこのまんま一人で立たせられない」
 須美子の手をとっ
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