スかを知ろうとして、心をよそにひかれている表情があった。
 七月十四日からひきつづいておこったソヴェト同盟と中国との間の国境封鎖。国交断絶。支那側による東支鉄道の回収について、パリの英字新聞「デイリー・メイル」は冷静に事実を報道しているだけだった。「吾々の最も危険な敵はソヴェト・ロシアである。吾々は列強の特権を武力をもって廃絶しないであろう」そういう蒋介石の宣言をのせている。「リュマニテ」はこの事件の真実について語っていた。南京政府はソヴェト・ロシアに対する戦争政策によって、中国労働大衆の革命を弾圧するための帝国主義国の援助を獲得している。そして、国境にどしどし白露軍を結集させていると報じた。中国側がハルビンに戒厳令をしいたということは、そのニュースの本質を裏がきすると、伸子は思うのだった。
 おととしの冬、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来る途中で、伸子と素子とは四五日ハルビンへよった。目抜きのキタイスカヤ通りの光景。そこにあった大百貨店チューリン。ハルビンにいる金まわりのいい日本人――というより、ハルビンにいる日本人が、金まわりのいいときや内地から客が来たとき、出かけてゆくレストランやキャヴァレーは、大抵、白系露人が経営しているところだった。こんどの蒋介石のやりかたに対して、ハルビンの日本人の大部分がどんな興味と期待をもっているかが、そこで会った幾人かの人の顔を一つ一つ思いうかべながら、伸子は想像できるようだった。ハルビン在住の日本人たちは、よりより情報をかわしあったり、臆測を語ったりしながら、むしろ、蒋介石がこれでどこまでやれるものか、という風な話しかたをしているにちがいなかった。ハルビン市にしかれた戒厳令ということも、その人たちは三分の不安と七分の安心でうけとっているのだろうと思えた。満州で張作霖を爆死させたりしている日本の侵略の気風はハルビンの人々にも影響していて、ものみだかい、あわよくば、という感情の半面で、本国から遠くはなれている人々はやっぱりソヴェト同盟の平和政策を信じたいところもあるのだから。
 中国側の強引な回収に抗議して七月二十二日、東支鉄道従業員のジェネラル・ストライキがおこった。蒋介石は軍隊の力でそれを弾圧している。「デイリー・メイル」は、はじめと同じような冷静さで、中国側の動きを肯定的にとりあげて報道しつづけている。「リュマニテ」には檄《アッピール》がのった。フランスの革命的労働者諸君! ソヴェト・ロシアに対する戦争政策の開始は、全世界の労働大衆に向けられた殺戮政策である。反動、ファシズム粉砕のために、ソヴェト同盟の敵に対して強力な階級闘争をたたかえ! 檄は近づいている八月一日の、世界反戦デーの、大規模な行進へのよびかけとむすび合わされていた。
 わかりやすい字をひろってやっとあらましの意味をつかめる「リュマニテ」の紙面からは、伸子を緊張させずにおかない響がつたわって来る。それを感じない人々にとっては一つの国際的な些事のように、しかし、その意味を実感するものにとっては重大な信号をもって、さりげなく、だが不断の注視をもって資本主義の国々の視線が一つの国境に集中されつつある。ロシア革命の歴史については乏しい伸子の知識のなかにさえも、デニキンという名がある。コルチャックとウランゲルの名がある。革命のロシアへなだれこんだこれらの白軍のうしろに、帝国主義国のいくつかの国旗がはためいた。日本は東洋の番犬である任務をはたして、それに対するおこぼれを期待してシベリア出兵をした。
 伸子は、自分のなかに生きている国境がみだされようとしているのを感じるのだった。その国境は冬空の下に果しなくひろがり、半ば蒙古風だった。伸子がそこを通過した日は北風が吹いていた。一人の蒙古の男が線路沿いの淋しい野道を歩いていた。防寒帽の耳覆いのたれを北風にふきちらされ、蒙古服の裾を足にからむほど煽られながら。その男のわきについて、精悍な黒い蒙古犬が二匹駈けていた。
 バイカル湖を深く囲んだ、シベリアの原始林の間へ沈んで行く太陽は何と赤かったろう。そこには雪があった。人跡絶えた雪の白さ。赤く燃える落日。逆光をうけて真黒く、太古の茂りに立っている原始林の荘厳さ。
 現在パリに暮している伸子は、郷愁に似た思いで、この国境を愛している自分を自覚するのだった。ソヴェトの国境は飢饉とたたかい、白軍を撃退し、営々として建設しているソヴェトの人々のために堅持されなければならない。人類の社会は成長し得るものであることを信じて、努力している世界の人々にとって守られなければならない。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の街々の朝夕。人々の顔、声。ここではじめて試みられている様々の社会生活の新しい仕組によって生きているナターシャとその赤坊と若い良人がいる。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の四季のなかに、何と大量に人間の可能性が燃焼していることだろう。そして、あすこには、そのような新しい社会からしか生れない新しい人間感情が存在しているのだ。
 去年のメーデーの前、日本の共産党の人々が検挙されたとき、泰造はその新聞記事を赤インクのカギをかけてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる伸子のところへ送ってよこしたことがあった。その伸子はいまパリにいてペレールのアパルトマンへ日に一度は顔を出し、親たちや弟妹とブーローニュの森の散歩だの、ルナ・パークでの他愛ない遊びにつれだったりしているから、もう東支鉄道問題がどうであろうと、泰造にとってそれは外国でよむ一つの新聞記事にしかすぎないのだろうか。
 赤インクのカギがいくらか荒っぽくかけられた新聞をモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で見たとき、伸子は苦しかった。そういうものを送られたことについて、忘れがたい印象をうけた。パリでの暮しで、泰造がパリというところにはきびしい人間の思想がないように、自由に成長しようとする人々の苦しくまじめな階級のたたかいがないように、安気そうなのは、またそれとして伸子の関心をひくことだった。
 七月二十三日の夜あけがた、パリの警視総監は、パリの市内のあちこちで、手あたり次第に多数の共産党員を逮捕させた。東支鉄道問題以来、ファシズムに反対、ソヴェトを侵略からまもれ、という声は労働者ばかりでなくひろい知識人の層からもおこっていた。八月一日の反戦デーの準備は大規模に精力的にすすめられているらしかった。七月二十三日の明けがたの急襲は、その妨害だった。
 その日の午ごろ、例によって伸子がペレールの家へあらわれると、多計代は、
「きょうは、明けがたに妙なことがあったよ。伸ちゃんの方はどうだったい」
ときいた。伸子はヴォージラールのホテルの七階で、何にも知らなかった。目をさまされるような特別のことは何もなかった。
「どうしたんだろう」
 多計代は、自分の記憶が夢の中のことでないのをたしかめるような眼つきで、
「あけがた、外を何度にも、騎馬で通ったものがあるんだよ。ふっと眼がさめたら、かなりどっさりの蹄の音がしているじゃないか。おや何だろうと思って耳をすましていたら、つづけて、あれでどの位通ったんだろう。大分の数だったよ。わたしは段々薄気味がわるくなってね、お父様に起きて頂いたけれど、何だかわからなかった。――何だったんだろうね」
 そのとき、伸子はまだその明方に何事が行われたか知らなかった。母が、おびただしい馬蹄の音を往来の上にきいて、そんな不安を直感したという、そのことの方がむしろ不思議だった。
 二十四日の新聞で、伸子は、前日の夜あけの出来ごとを知った。多計代が目をさましてきいたという馬蹄の響は、そのためにくり出されたパリの騎馬巡査がどっかへ行く音だったのかもしれない。伸子は、母が、その見えない往来の上の馬蹄の響に物々しさと殺気とを感じた敏感さにおどろいた。伸子は、素子とその話をしたぎりで、多計代に、事件の内容は告げなかった。検挙された共産党員とよばれる人々の中には、いくたりかの外国人もまじっていた。ベルリンの血のメーデーのときの記事を思い出させるところのある英字新聞の調子だった。伸子はくりかえして「デイリー・メイル」の記事をよんだ。こういう事件は予想外のことでなく、ブリアンの政府にとっては全く計画的なことであり、これからもこういう事件は又くりかえされ、人々がそれをあたりまえと思うようにひき入れて行こうとするきざし[#「きざし」に傍点]がうかがわれる調子だった。「リュマニテ」は、フランス全市民を決定的にファシズムのもとにしたがえるために、人々が生活権のためにたたかう勇気をくじかれ恐怖としりごみをおこさせるために、ブリアン政府は、まず人民の前衛である共産党の破壊に着手した、という事件の本質をあきらかにした。ファシストは国際的にはソヴェト同盟を、国内的には共産党を、潰そうと試みている。しかし、それは不可能である。「|不可能である《セ・タンポシブル》」――この言葉は紙面に目をすえている伸子の心にこだました。短い否定の言葉に、最もつよい積極の意味が表現されている。そのことに伸子はうなずくのだった。
「デイリー・メイル」をよんでいる泰造が、七月二十三日の事件について、どんな感想をもつだろうか。注意ぶかくなっていた伸子は、この場合にも泰造が全然よそごととしているのに安心し、こころひそかなおどろきも感じた。これが日本のなかのことでもなく、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でもない国フランスにいる、そのことで、泰造は気楽になっている。伸子は改めて、どこにいても同じように神経のたった女の鋭さでかん[#「かん」に傍点]を働かしている多計代の感受性について考えた。

        七

 街々のマロニエの緑の色をこころよく甦らせて夕立があがった日の午後五時すぎ、伸子はペレールの両親のアパルトマンを訪ねた。うすぐらい入口のドアの前にたってベルをおした。しばらく答えがなくて、もう一度鳴らした。ドアをあけたのは、通い女中のマダム・ルセールではなくて、はれぼったい顔色をしたつや子だった。
「ああお姉さま!」
 つや子は体ごとすりつくようにして、伸子の手をひっぱった。
「来て……」
 つや子のその様子は普通でないのに、アパルトマンは、しんとしていた。
「どうしたの」
 伸子は、さては母が病気になったかと思った。
「誰か病気なの?」
「ううん、ちがう」
 もしゃもしゃになっているおかっぱの頭をふって、つや子は、とり乱したようにひどい力で伸子を、まっすぐ客間へひっぱって行った。露台に向って一杯に窓がひらかれている、雨のあとの爽やかな空気が流れている客間の長椅子の上に脚をのばして、多計代がいた。ななめよこから夕暮の外光をうけている多計代の顔色のわるさ。それは蒼さをとおりこして青っぽく黄色かった。長椅子の前の小テーブルに飲料水エビアンの瓶とコップとがおかれていて、わきに多計代の持薬である宝丹の紙袋が出ている。
「ほら、やっぱり、どっかお悪いんだわ」
 伸子は、足早に母のそばへよって行った。
「どうなすって? 電話下さればよかったのに」
 多計代は、むしろ精神的に、力も何もぬけはてた様子で、伸子の方へ手をさしだした。大粒のダイアモンドの指環のはまった多計代の右手は、伸子の手のなかでかすかに震え、表面が冷えきっているようでしんが熱っぽかった。
「ね、ほんとにどうなすったの? どっかが苦しいの?」
「苦しいのなんのって――伸ちゃん」
 多計代は、すっかりかすれてしまった声で、やっとききとれるぐらいに云った。
「きょうというきょうは、もうすこしで、わたしも殺されるところだったよ」
 多計代は、そう云いおわって、息がつまって来るのに抵抗するような咳ばらいをした。
 まじりけない不安にはりつめられていた伸子の表情のかげに、多計代の言葉の誇張を疑う色が動いた。
「殺されるなんて――」
 だれに? どうして? あり得ないことだ、と伸子は思った。伸子は訊くように、わきに立っているつや子を
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