N※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の中央美術館でひらかれたゴーリキイ展を見に行ったとき、伸子は、そこでゴーリキイに子供のときの写真が一枚もないことを発見した。そして赤坊のときからの写真をどっさりもっている自分に思いくらべた。それにつれて、写真に対する自分の浅薄さを非常に苦しく自覚したことがあった。母親と仮借なく対立しながら、父にだけは批評なしに甘えられそうに思っていた自分の心の姿も、伸子にはじめて同じような醜さとして見えた。父の泰造が、よく云っていた見識とか常識とかいうことも、窮極では、母の多計代の量見とどこまでちがったものだったろう。
泰造は役所や役人ぎらいであった。大学を出たばかりで勤めた文部省の営繕課をやめたいばかりに、若い旧藩主のお伴のような立場でイギリスへ行った。泰造が官庁の建築家として完成したのは札幌の農科大学のつましい幾棟かの校舎だけであった。伸子が十九のとき札幌へ行ってみたら、その校舎は楡の樹の枝かげに古風な油絵のように煉瓦建の棟を並べていた。外国から帰ってから泰造はずっと民間の建築家として活動して来ている。
泰造はよく、判断のよりどころのように常識があるとか
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