あ……わたしは、ききませんでした。――いつも、ああいう人なの?」
「そうですか? 変だなあ、……云いませんでしたか。云ったとばかり思ったがな」
「――まるでお言葉をたまわる[#「お言葉をたまわる」に傍点]、みたいで、おそれいっちまうな」
 瀬川は、素子のその言葉は上の空にきいて、内心しきりに、夫人がありがとうと云わなかったというのが事実だったかどうか、思いかえしている風だった。
 そこへ、廊下のかどからノヴァミルスキーが出て来た。そして、うすい人参色のばさっとした眉毛の下から敏捷《びんしょう》な灰色の視線を動かして、夫人と会見を終って来た三人の表情をよみとろうとした。何か云いかけたがノヴァミルスキーは聰明にそれをのみこんでしまった。みんなは黙ったまま表玄関わきの、美人ゴルシュキナを中心に陽気にごたついている応接室へ戻った。

 |ВОКС《ヴオクス》の建物のあるマーラヤ・ニキーツカヤの通りを数丁先へ行ったところで、この通りは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]を環状にとりまいている二本の大並木道の第一の並木道《ブリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ール》にぶつかった。遊歩
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