驍ニ、眉に起筆のアクセントのような調子がついて、いわばその不自然さが多計代の若いときからの美貌の特色をはっきりさせるのだった。
古びた紅いカーペットをしきつめて寝室のごたごたしたなかで化粧する多計代の手もとに気をとられながら、伸子の心の底は何かの不安――どうかしなければならないことの予感にみたされているのだった。
三
七月の晴れた朝のマルセーユの港で、まだ船からおりずにいるうちのものの姿を見たとき、特に父の泰造の顔とやつれきった多計代の様子を見たとき、伸子の心はしめつけられて、ほんとにみんなのために頼りになり、役に立たなければならないと思った。みんなの必要が、たとえ伸子としてどう判断されるにしろ、それを批評するよりは実際的に解決してゆく力とならなければならない。それは、この長い旅行をとおして泰造の負担を軽くすることでもある。伸子はそう決心して、マルセーユのホテル・ノアイユの一晩を、早くから横になった多計代のベッドのわきにいて過したのだった。
その一晩で、佐々の全家族のこんどの旅行のむつかしさが、伸子に、はっきり感じられた。伸子をおどろかしたのは、みんなの心もちが、なぜだかひどくくいちがっていて、それがむつかしく入りくんでいることだった。長い長い航海のあげくマルセーユへ上陸したのだから、一家一同くつろいで、しんみりと、この一年半わかれていた間におこったことが話されるだろう。伸子はそう期待した。保のことを話して、多計代はどんなに新しく歎くことだろう。あるいは、伸子をせめるかもしれない。伸子はそれをおそれた。伸ちゃんの顔を見たら、もうわたしは動きたくなくなった、と云われることさえ想像した。船の上に見た多計代は、そのくらい憔悴《しょうすい》していた。
ホテル・ノアイユへ着いてひと休みし、和一郎と小枝とが自分たちの室へひきとってゆくと、多計代はそれを待っていたように、
「お父様、すみませんが、あれを出して下さいまし」
と、泰造に云った。そんなにいそいで出さなければならないあれというのは何だろう。伸子はそう思って、泰造が背広の背中をこちらに向けて、黒皮のボストン・バッグをあけるのを見守っていた。泰造は、銀色っぽい錦のきれで包まれた小型の壺の形をしたものを両手の間にもって、そこに立ったまま、
「どこへ置くかね」
クリーム色のびろうどで張られた長椅子の上にいる多計代にきいた。
「さあ」
多計代は、港町のホテルらしく華美に飾られている室内を見まわしていたが、
「すみませんがそこへ置いて下さいまし」
鏡のついている高い炉棚の前をさした。それは多計代がその上に半ば横になっている長椅子の後方だった。泰造は、多計代のたのみのままに、銀色の錦の包みものを両手で、恭々《うやうや》しくそこにのせた。
伸子は、唇の色が変ってゆくような気持になった。それは保だということがわかったのだった。その銀色の錦のきれにつつまれた小箱は保の一部分なのだ。思いがけない衝撃で、伸子はかけている椅子の上で体じゅうがこわばった。そして目の中に、苦い汁が湧いた。伸子の心に保は生きている。――死んでしまったいとしい保として、生きている保よりなお哀切に生きている。八月一日という日は、伸子にとって、いまもなお平静に感じることもきくこともできにくい日づけである。日本から来たうちのものみんなの心の中に保もはいって来ていると思えばこそ、伸子はその心と結びつこうとする自分を実感し、それに対して誠実であろうとしているのだった。
痛切に愛しているものが、どうして、その愛するものの骨をもち歩くことに耐えるだろう。保に関するちょっとしたヒントにさえ、ほとんど肉体的な鮮やかさで死んでも生きている保を感じて、さむけだつような伸子に、ホテルの炉棚の上の骨箱との対面は、あんまりだった。伸子は、暗い刺すような視線でその錦の箱を見すえたまま、息をつめ、頸をこわばらしたまま声も立てなかった。伸子は、マルセーユのホテルでひとことの前おきなしに保の骨を出しかけられようとは考えてもいなかった。
多計代は口をきかない。泰造もだまっている。ものを云えず、体もうごかせないようになった娘の自分を見つめて、ふた親が沈黙しているということにさえ、伸子は、しばらく気づかなかった。我にかえって、その異様な雰囲気をさとり、それが、多計代にどううけとられているかを直感したとき、伸子は両手で顔をおおいたかった。
多計代は、伸子をためしたのだった。伸子は、はっきりそう感じた。錦のつつみものが保だとさとったとき、伸子はそれにすがって泣きでもするだろうか。あるいは椅子から立ってお辞儀でもするだろうか。そうならば、それは多計代に伸子のやさしさが示されたことであった。だが伸子は涙をこぼさず、ただ蒼ざめて、こわいこわ
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