B中庭が目にはいった瞬間、伸子は激しく心をつかれ、素子をつついた。あまり広くない中庭のぐるりに幅のせまいコンクリート道がついていた。真中に三本ばかり菩提樹が枝をしげらしている。その一本ずつを挾んで稲妻型に、これも人一人の歩く幅だけのコンクリート道がついている。その道の上に、同じように褐色のスカートにひろいエプロンをかけた十人たらずの女が一列になって歩いていた。伸子は男連中にまじってその窓のところを更にもう一階上へとのぼりつづけて行ったが、その光景は心にやきついた。伸子は小声で、
「同じね、ローザの写真と」
と素子にささやいた。ローザ・ルクセンブルグが投獄されていたとき、女看守に見はられながら散歩に出ているところをうつした写真をモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で見たことがあった。ローザは、エプロンをかけさせられていた。そして、散歩場は、その窓からちらりと見えた散歩場そっくりに、せまい歩道が樹のある内庭をまわっていた。
病舎の見学と云っても、見学団の一行は、舎房の並んでいる廊下をゾロゾロとつっきったばかりだった。丁度、昼食の配ばられている時間で、伸子たちが廊下を通りすぎるとき、一人の雑役が小型のドラム罐のような型の入れものから、金じゃくしで、液体の多い食餌をアルミニュームの鉢へわけているときだった。灰色の囚人服に灰色の囚人帽をかぶった雑役は、水気の多いその食べものを、乱暴にバシャバシャという音をたててわけていた。その音は伸子に日本の汲取りのときの音を連想させた。そこだけ一つドアがあいていて、ベッドの上に起きあがった病衣の男の、両眼の凹んだ顔がちらりと見えた。
目に入るものごとが伸子に苦痛を与えた。伸子は、段々湧きあがって来る一種の憤りめいた感情でそれに堪え、一同についてレントゲン診察室に案内された。ひる間だが、その室は電燈にてらし出されていた。ぐるりの壁に標本棚のようなものがとりつけられていて、そのガラスの内部には、変な形にまがったスープ用の大きいスプーン。中形のスプーン。フォーク、そのほか義歯、何かの木片、櫛の折れたの、大小様々なボタン、とめ金などが陳列されている。津山進治郎の説明によると、それらの奇妙なものは、ことごとく囚人の胃の中からとり出されたものだった。未決監獄へいれられた囚人たちは、屡々《しばしば》自殺しようとしたり、病気を理由に裁判をひっぱろうとして、異物をのみこむ。その計画をこのレントゲン室はすぐ見破って、彼らは適当な処置をうける[#「適当な処置をうける」に傍点]、というのだった。
日本人の医学者たちは、未決囚の胃の中からとり出された異様な品々に研究心をそそられるのか、その室の内に散ってめいめいの顔をさしよせ、ガラスの内をのぞき、そこに貼られているレントゲン写真の標本を眺めた。標本写真の中には、靴の踵皮をのんでいる、二十二歳の男の写真というのもあった。自分の毛をむしってたべて、胃の中に毛玉をもっている男の写真もあった。伸子はある程度まで見ると、胸がわるいようになって来て、自分だけこっそりドアの方へしりぞいた。どういうずるい考えがあったにしろ、人間が自分の口からあんなに堅くて大きいスプーンをへし曲げてのみこんだり、靴の踵皮をのみ下したりする心理は普通でない。それほど、彼らを圧迫し、気ちがいじみたことをさせる恐怖があるのだ。監獄にレントゲン室が完備しているのを誇る、そのことのうちに、伸子は追究の手をゆるめない残酷さを感じた。気も狂わしく法律に追いつめられた男女の胃の中から、正確に気ちがいじみた嚥下《えんか》物をとりのぞいたとしても、人間の不幸はとりのぞかれず、犯罪人をつくりだしつつある社会も変えられない。それにはかまわずレントゲン室はきょうもあしたも科学の正確さに満足して、働きつづけるだろう。機械人間の冷酷さ! そうでないならば、ベルリンの警視総監ツェルギーベルはメーデーに労働者をうち殺したりはしなかっただろう。
その日の見学には、伸子としてひとしお耐えがたいもう一つの場面がつづいた。レントゲン室から出ると木曜会の一行は、食堂へ案内されることになった。昼食の時間だから、この監獄の給食状態を見てくれるように、と云うことだった。伸子は、そこにも陳列棚があって、その日の献立にしたがって配食見本が陳列されているのだろうと思った。さっき廊下で雑役がシチューのようなものを金びしゃくでしゃくっていたときの音を思い出した。ああいう音は、陳列されているシチューからはきこえて来ないのだ。しかも、ここに入れられている人々にとって切ないのは、シチューそのものより、あの食わせられる音[#「食わせられる音」に傍点]だのに。――
伸子は、陰気なきつい眼つきで、人々のうしろから明るい食堂へ歩みこんだ。そして、そこへ立ちどまった。
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