黷セけの仕事をやるのに、航行中の船が目をつけないってわけは絶対にあるもんじゃないんです。わたしがやっているときだって、どうして、大したもんだった。――コースをまげて来たからね。それに、今のソヴェトには、あの船がひっぱり上げられるだけ腕のいい潜水夫はいませんよ。もぐることにかけちゃ、日本は世界一だからね」
 かさばって貝がらだらけになった船そのものをそのままにしておいても、必要な金塊だけ発見して海底からもち出すことがあり得ないのだろうか。かりに権田正助が引上げて見て、金塊がなかったらどうするのだろう。
「そりゃはじめによくよく調べてかかるんですさ。対手国で保証しないもんなら、そりゃ骨折損ですがね――そのかわりうまく当てれば、相当のもんだからね」
 権田正助は、当ったときの痛快さと満足を思い出して、北叟笑《ほくそえ》みと云われる笑いかたをした。そして、
「どうです、これでわたしの商売もなかなか男らしくていいでしょう」
と云った。伸子は、ふと妙な気がした。権田正助は、酒のあいてをする女を前においていい気持になっているときのような口調で云ったから。双方が暫くだまった。
「ところで、あなたはいつごろ退院です?」
 権田がやがて帰りそうにしてたずねた。
「さあ、まだ見当がつかないんです――肝臓がはれているから」
 原因のわからない伸子の胆嚢と肝臓の炎症はなかなかひかなくて、つい四五日前、レントゲン療養所へまで行って調べた。その結果何も新しい発見はなかった。ゾンデをとおしてすんだ胆汁が出るようになって来たけれど、肝臓は膨れていて、肋骨の下から指三本たっぷりはみ出たままだった。
「肝臓とはまた酒のみみたいな病気になったもんだな――黄疸の気はちっともないじゃないですか」
「ええ」
「のむんですか?」
「いいえ」
「まあ、どっちみち大丈夫ですよ。わたしが保証してあげます。その色つやならじき退院できるさ」
 帰りそうにしながらまだ長椅子にかけてねている伸子を見ていた権田正助は、ブラック・プリンスのことを云ったと同じ調子で、
「あなた、フレンチ・レター、知ってるでしょう」
と云った。フレンチ・レター。伸子はどこかでそういう言葉をよんだ。そして、それは普通の話の間には出されない種類のことのように書かれていたのを思い出した。だが、果してそういう種類のことなのかどうか。そうだとすれば、権田正助がこんなところで云い出したのがわからなくて伸子は、
「しらないけれど」
と云った。
「ふーん、知らないかな」
 小首をかしげたが、
「男のつかうもんですよ」
と伸子に説明した。
「わたしのところに、非常に質のいいのがあるんです、全く自然なんだ。――一つこころみませんか」
 伸子は白い枕の上に断髪の頭をのせ、ぽかんとした眼で権田正助を見た。権田の云っている言葉はわかるのだが、話の感覚がまるで伸子とピントを合わせなかった。黙って、意外な眼で権田をみている伸子に、
「とにかくお大事に。――時間があったらまたよってみますが」
と云って、権田正助は病室を出て行った。

        十三

 どんな気で、権田正助が伸子の見舞いに来、ああいうことを云ったのか、伸子にはいくら考えても推量ができなかった。それなり世界的な日本の潜水業者と自他ともに許している背の低い、色の黒い男は伸子のところへ二度とあらわれず、伸子は一日のうち少しずつベッドの上へ起き上ってくらすようになった。
 そうすると、伸子の病室に出入りするひとも、素子とナターシャと医者たちばかりでなくなった。医局の方につとめている若くない看護婦で、紙にはった押し花を売りに来るひとができた。その内気な小皺の多い看護婦のこしらえている押し花は、よくある植物標本のようなものではなくて、青色やクリーム色の台紙へ、その紙の色にふさわしい配合で三四種類のロシアの草や野の花をあしらったものだった。どういう方法で乾燥させるのか、花々は鮮やかなもとの色をあんまり褪《あ》せさせずにいて、柔かい緑の苔が秋の色づいた黄色い楓《かえで》の葉ととりあわせて面白く貼られていたりした。それらの花や苔や草の穂は、伸子にレーニングラードのそばのデーツコエ・セローでくらした去年の夏を思い出させた。そこの野原の夏風にそよいでいた草や花をしのばせ、保が死んだという電報をうけとったとき、パンシオン・ソモロフの伸子の室のテーブルの上にさされていた夏の野の草花を思いおこさせた。押し花は忘られない八月を伸子の心によみがえらせ、伸子は一枚もとらずに返すことのできにくい心もちにされた。伸子は、ちがった組合わせで貼られている押し花を見つけ出しては、その余白に、短いたよりを書いて東京のうちや友達に送った。そういう伸子の買いものにナターシャは興味をもたなかった。
「きれいですね、よくこ
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