ツまれた体は背高くやせて、棒のようだった。彼女に求められているのは規律正しい行きとどいた勤務であった。それが彼女の職業なのだから。彼女の結婚だの姙娠だのという人間の女に関することは、勤務とは別の、患者のかかわりしらない、彼女だけの問題――プライヴェート・アフェアだった。ミス・ジョーンズの大切にしている婚約指環が灰色の小さな袋にはいってエプロンの下にかくされていたとおりに。文明国[#「文明国」に傍点]では、身もち看護婦の勤務などということは途轍《とてつ》もない笑話以外にあり得ないことだった。
ナターシャは、彼女がうけている社会の条件について、価値を知りつくしていない。そう伸子は思った。ナターシャにはどこにも過渡期の影がない。ナターシャはきっすいのソヴェト娘として育ち、生きている。ヒールのない運動靴のようなものをはいて、いくつも薬袋をのせた盆をもってドアの外を通ってゆくナターシャを伸子は枕の上から見ていた。
その日の午後おそく、やがて面会時間がきれようとするころ、伸子は思いがけない人に訪問された。その日は素子のいるうちに入浴がすんだ。その素子も帰ったあと、雪明りが赤っぽい西日にかわってゆく時刻の病室で、半分ねむったような状態でいた伸子は、
「こんにちは――入ってもいいですか」
という男の声にびっくりして目をあいた。ドアのところに、黒い背広を着て、がっちりした背の高くない日本人の男が佇《たたず》んでいる。伸子は枕の上から頭をもたげるようにして、そのひとの方を見た。全然見たことのない色の黒い四角ばった顔だった。伸子は、入っていいともわるいとも云わず、
「どなたかしら」
ときいた。
「権田正助です。――大使館へ行ったらあなたが病気でここへ入院しておられるってきいたもんだから、ちょっとお見舞しようと思って」
権田正助という名は、伸子の耳にも幾度かつたわっていた。どこかの海で、国際的な注目のもとに第一次大戦当時沈没した旅客船のひきあげに成功して有名になった潜水業者であった。
権田正助は、自分を自分で紹介しているうちに、病室へ入って来た。そして、
「やあ、初めておめにかかります」
頭を軽くさげ、さっさとあいている長椅子に腰をおろした。
「ロシアの病院なんてどんな有様かと実はばかにして来たんだが、案外なもんじゃないですか。――なかなかいい」
権田正助は、枕についている伸子の顔を正面から見ながら、
「ところで病気っていうのはどうなんです」
ときいた。
「どこがわるいのかしらないが、いっこうやつれていないじゃないですか。それどころか、艷々したもんだ。いい顔の色ですよ」
伸子には、権田正助というような商売の人が、まるで見当ちがいな自分の見舞いに来てくれたということが思いがけなかったし、その上、調子の太いもの云いにあいてしにくい感じがした。
「あなたはいつこっちへいらしたんです」
伸子は話題を自分からはなして権田の側へうつした。
「こっちにも、何かお仕事があるんですか」
短く刈って前の方だけ長めな髪を左分けにしている頭のうしろを、ばさっと払うようにした片手を膝におとして、権田正助は、
「それがね、面倒くさくてね」
と云った。
「あなた、ブラック・プリンスっていう船の名をきいたことがあるでしょう? 有名なもんだから」
「――さあ、知らないけれど」
「ブラック・プリンスっていうロシアの大きな船が黒海のある地点に沈んだままになっているはずなんです。こんどは一つそいつをあげて見ようと思ってね、それでやって来たんですが、四の五の云って、ちっともらちがあかない」
「権利か何かお貰いになるわけなんですか」
「そうですよ。なかなかこまかい契約がいるんでね。第一引上げに成功したら、その何パーセントかはこっちへとるということがあるし」
ブラック・プリンスは、世界の潜水業者の間に久しく話題になっている沈没船なのだそうだった。金塊を何百万ルーブリとかつんだまま沈んでいるというのだった。
「それが今ごろまでそのまんまあるものかしら」
押川春浪の綺談めいた物語に伸子はうす笑いの口元になった。ソヴェトは、こんなに新しい開発建設の事業のために金を必要としている。それだのに、自分の領海に沈んでいる何百万ルーブリという金塊をうちすてておこうとは伸子には信じられなかった。
「案外、もう始末してしまってあるんじゃないかしら」
「いいや、そんなことは決してない」
つよく首をふって権田正助は否定した。
「第一、誰もまだブラック・プリンスの引上げに成功したっていう話をきいていないんだから」
「だって、いちいち世界へ報告しないだっていいでしょう」
「そう行くもんですか」
四十を越した年配にかかわらず、権田正助は、一徹に主張した。
「あなたにはわかるまいけれど、海の真中でそ
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