サれは、アルミニュームの重ね鍋に入れられ、ナプキンで包まれて、毎日きちんと四時半に、届けられた。
「ぶこちゃんが病気したおかげで、わたしもルケアーノフで正餐がたべられるようになったよ」
伸子のためにもって来たミカンを自分もたべようとしてむきながら、素子はわざと意地わるに云った。
「おかげで、スープをとったかす[#「かす」に傍点]の鶏のカツレツばっかりたべさせられてる」
伸子は、枕の上にひろげて頭にかぶっている白い毛糸レースのショールの中で笑った。
「大丈夫よ。わたしはまだ濃いスープはだめなんだから、かす[#「かす」に傍点]になりきっちゃいないわよ」
その年の冬は厳冬の季節がきびしくて、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で零下二五度という日があった。電車もとまった。伸子の病室の雪明りはその明るさに青味がかったかげをそえた。頭の上の二重窓の内側のガラスの隅にかけたところがあって、その小さい破れからきびしい冷気が頭痛をおこすほどしみて来た。その日伸子は湯あがりにつかう大きなタオルを頭からかぶって暮した。翌日素子にもって来てもらってそれから、ずっと伸子がかぶってねている白い羊毛レースのショールは、ヴォルガ沿岸のヴィヤトカ村の名物だった。去年の秋伸子と素子が遊覧船でヴォルガ河をスターリングラードまで下ったとき、ヴィヤトカの船つき場をちょっと登ったいら[#「いら」に傍点]草原のようなところで、三四人の婆さんがショールを売っていた。雨が降ったらひどくぬかるみ[#「ぬかるみ」に傍点]そうな赭土が晴れた秋空の下ででこぼこにかたまっていて、船つき場から村へ通じる棧道がヴォルガの高い石崖に沿ってのぼっていた。船から見物にあがって来た群集がショール売りの婆さんのまわりに群れていた。そのひとかたまりの群集も、口々にがやがや云っている彼等のまとまりのない人声も、みんなひろいヴォルガの水の面と高い九月の空に吸いこまれて、群集は小さく、声々はやかましいくせに河と空とに消されて静かだった。伸子が買ったヴィヤトカ・ショールはあんまり上等の品でなかったから、そうして枕の上でかぶっていても頬にさわるとチクついた。
ノヴォデビーチェの部屋は解約した。伸子の容態に見とおしがついたから、東京の佐々の家へ大体の報告をかいてやったことなどを素子は話した。
「どうもありがとう。いまにわたしも書くわ」
「おいおいでいいさ。いずれぶこちゃん自身で書くがと云っておいたから。――ノヴォデビーチェじゃびっくりしていたよ、ぶこが入院したと云ったら。お大事にってさ」
「――あの犬の箱みたいなディヴァン、まだやっぱりあの壁のところにあった?」
「あったさ」
素子は、ちょっと寂しい室内の光景を思い浮べる表情をした。
「――あすこは妙なところだったね」
そこへ伸子一人をやったことをいくらか気の毒に思う目つきで早口に云った。そして、
「きょうは、すこし早めにひきあげるよ」
と、腕時計を見た。
「河井さんの奥さんとスケートに行く約束してあるから」
「そりゃいいわ。是非おやんなさいよ、奥さんはすべれるの?」
「四年めだっていうんだから、すこしゃすべれるんだろう」
二人のスケート靴を買ったばかりで伸子は入院してしまったのだった。
「はじめ眼鏡はずして練習しないとだめよ、きっと。ころぶのをこわがってるといつまでもうまくなれないから。――どこでやるの?」
「どっか大使館の近くにあるんだとさ、専用のスケート場が……」
「――そんなところでないとこでやればいいのに……」
伸子はいかにも不服げな声を出した。専用スケート場と云えば、リンクのまわりが板囲いか何かで、一般のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]人は入れないにちがいなかった。
「いっそモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]河ででもやればいいのに」
快活な冬のスポーツにさえ、専用のかこった場所をもっている外交官生活というものが、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]という場所柄伸子にはひときわ普通でなく感じられた。伸子は、自分がこうやってねている病院が、あたりまえの大学附属病院で、いろんな女が入院しているのをよかったと思った。しかし素子は専用スケート・リンクというものについて伸子が感じるようには感じないらしく、
「いいのさ、はじめのうちはどうせころがり専門なんだから」
日本人同士の方が気がおけなくていい、という風に云った。伸子は白い毛糸レースのショールをかぶった枕の上から、長椅子の上に脚を折りまげている素子を、じっと、やぶにらみのような眼つきで見た。伸子は、ねたきりの自分と丈夫な素子とがその瞬間すれ違ったことを感じたのだった。
素子が帰ってからも、伸子は長椅子の肱かけのところに置きわすれられたミカンの黄色い皮
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