チたけれど、ふらついて苦しみ、喘いでいた伸子は、素子が男の友達でないということに心をゆるして、急速に素子に影響されて行った。素子が、伸子から佃をつきはなそうとする強いつっぱりの間に自分の身をかくまわれて。
 伸子は、自分の場合は、ああしかありようがなかったと思った。誰よりも自分が佃から去ることをのぞんだのだから。そのために、必死に、はたをかまわずもがいたのは自分であり、責任は、伸子にあるのだから。しかし、素子と暮すようになってから足かけ六年の時がたち、伸子はいろいろな場合、素子が友人夫婦につき合う感情に、微妙な角度があることを理解して来た。素子は、友人夫婦の間を多くの場合シニカルに見た。それは、細君びいきの形であらわれることもあったし、素子から見るとあんな男の妻でいる女への批評となってあらわれることもあった。また男がそのしかつめらしく自信にみちた妻にしかつめらしく嘘をついているのをだまって目撃してる皮肉な笑いとして現れたりした。
 良人としても二人の小さい子の父親としても若すぎ画家としても未完成でパリの生活に神経質になっている磯崎恭介に対して、須美子びいきの形からにしろ彼に嗜虐めいた感情をもつことを、伸子はこわく思ったのだった。
 そのとき、二人はながいことだまって、ホテルの室のバルコンのところに坐っていた。やがて、素子が、うす明りのなかで大きい猫のように白いブラウスの胸をはってしなやかにのびをしながら、
「わかったよ。ぶこちゃん」
と云った。
「あのひとたちの感情にまで立ち入ろうなんかと思っちゃいないんだから」
 そういうわけで、日曜日に素子が歯痛をおこすまで、伸子たちは、その週は一遍も磯崎のところを訪ねていないのだった。

        七

 パリの初夏の雨あがりの黄昏《たそがれ》は、賑やかなところではそろそろ眠りを知らない賑わいがはじまっていながら、灰色に静かな界隈ではそのしずけさがひとしお深く、物思わしいような時刻だった。一人だった須美子は、伸子たちに訪ねられて、うれしさをおさえられないようだった。
「磯崎がいないから、わたし、内緒でわるいけれどお二人に絵を見て頂きたいわ」
 そう云って、須美子は、子供をねかしてある隣室へ行った。須美子の絵は、まとめて衣裳棚の上にでも上げられているらしかった。椅子を動かす音がした。手間どって、須美子は三枚のキャン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ァスをもってもどって来た。彼女は電燈をつけた。そして、その新しい光の下に、八号ばかりの自分の絵を置いた。空いている椅子の一つを、伸子たちから適当な距離にはなして、その上に。
「ホノルルの景色です」
 須美子も、伸子たちのわきに立って一緒にその風景を眺めた。
「いいじゃないですか」
 素子がほめた。
「ホノルルって、こんなに、きれいなところなのかな。みずみずしいんだなあ」
 須美子が描いているのは、風景としては奇抜なところのない自然のひとすみだった。けれども、碧《あお》い遠くの海のきらめき、その上の白雲のある空。ちらりと見えている砂地と前景の樹木。龍舌蘭のような草の大きい白い花房。軟かく、みずみずしく、光にあふれてそのひとすみの自然の美しさがとらえられている。伸子はその絵を見て、おどろいた。エジプトの彫刻にある女のように、まじめで端正な表情をうごかさない、口かずのすくない須美子に、こんなに柔軟自在で生命感のつよい表現力があり、大胆な色彩の感覚が潜んでいることをおどろいた。
「これは、やっぱりホノルルですけれど――街の方」
 棕梠の並木に沿って、明るい岱赭色の道がなだらかに彎曲しながらのびていて、そこを走り去っている自動車のうしろが見える。近いところの白壁の家、その窓々の日除け、単純な筆致の画面からも、伸子をうつのは愉悦の感情だった。その光の下に、それらの物体が存在し、それを見ていることのたのしさに鳴っている須美子の感受性がある。最後の一枚はホノルルの公園のベンチのあたりを中心にした風景だった。遊んでいる子供。ベンチにかけている黒服の老婆。花の咲いている花壇。画面には、その色のまま手にすくわれて来そうに明るくて芳醇な空気があった。どの絵も、須美子の第一印象がそれらの景物をとらえた瞬間の実感的なディフォルメがあった。
「須美子さん、あなた、もっともっとお描きにならなけりゃ!」
 伸子が、須美子の背中へ手を当てて前へ押し出すように心をこめて云った。
「あなたは、描ける方なのに。――こんなに表現なさるのに――ホノルルでお描きになったきり?」
「ええ。こっちへ来て、いろいろえらいひとの作品をみたら、わたしなんか、こわくなってしまって――」
「えらいひとはえらいひとよ。あなたはあなたじゃないの、須美子さんは、たった一人しかいないのよ」
「――」
 ふ
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