゚ていた。曠野のなかにたった一つぽつんと立っている小さな駅を、列車がすぎてしばらくしたら、いきなりその品のいいフランス婦人が、
「|あら、《ヴォア・ラ!》|たくさんの西瓜《ボークー・ド・ムロン》!」
 わきにたたずんでいた伸子をかえりみて、窓外にとんでゆく畑の面をさした。
「ボークー・ド・ムロン!」
 伸子は、いそいで、
「そうです《ウイ》! そうです《ウイ》!」
と答えた。
「|非常に《トゥレ》、たくさん《ボークー》」
 そのフランス婦人にとっては、一見荒涼としたウクライナの耕地に、そんなにどっさりの西瓜が無雑作にころがって、みのっているのがひどく意外であったらしく、窓から外を眺めているやせがたの顔の上に愉快におどろかされた人の、かすかに笑う表情があらわれた。しばらく黙って見ていて、そのフランス婦人はまた伸子に、
「おいしい《ボン》?」
ときいた。
「ええ、おいしい《ボン》」
 それだけでは何だかものたりなくて、伸子はおいしい口つきをして見せながら、
「たいへん《ヴェリー》、|甘いです《スウィート》。|汁気がたっぷり《アンド・ジューシー》」
と云った。フランス婦人は、通じたのか通じないのか、伸子の英語にうなずいて、伸子たちが車室へ入ってしまってもなお一人廊下にのこって、外の景色を眺めていた。
 何の目的で、どこに向ってソヴェトの中を一人旅しているのかわからないその五十がらみのフランス婦人は、夕飯の弁当に雛鳥の丸焼をもっていて、それを少しずつ食べながら、金の小さいコップを出して、葡萄酒をのんだ。相当の年の優美な女のひとが、繊細な指さきを器用につかって鳥の肉をさき、ちっとも粗野な感じを与えずに、それを口へ運んで、葡萄酒をのんでいる様子も、伸子には印象にのこった。彼女が、ほんの少量しかたべなかったこととともに。
 ヴォージラールの通りの店で、桜んぼうを買って帰って来る途中で、伸子は、ふっとそういう去年の一情景を思い出した。と、いうのは、伸子が桜んぼうを買ったその店ではガラスのショウ・ケースの中にムロン、一キロとだけ書いて、価を入れてない正札がニッケルの正札ばさみの上に立っているばかりで、ムロンそのものは無かったから。――パリへ来てみると、鶏は高価なものとされていて一般家庭の食卓へ出されるものでなかった。伸子も今はそれを知った。ムロンと云えば、それは日本でメロンをいうときと同じに、カンタロープその他の高級品をさすこともわかった。ヴォージラールあたりのちょっとした店では、ごく新鮮とは云えない桜んぼうを売っているが、ムロンはおいてはいないのだった。
 タイプライターのおいてあるホテルの室の化粧台の上に、チーズや桜んぼうをひろげて二人で食べながら、伸子は、フランス婦人が、ウクライナの畑にころがっている西瓜を見て、あんなに愉快そうに、おどろいた顔をしたときのことを素子に思い出させた。
「そう云えば、ほんとにあのひとは感動したと云えるぐらいの顔つきだった」
「わたし、いま、わかったようだわ。あのひと、もしかしたら、あの畑の西瓜を、パリのムロンと同じものだと思ったんじゃないかしら。夕方だったし……」
「なるほどね」
「ここじゃ、鶏って相当の贅沢でしょう? ロシアではもっと日常性をもっているわ。丸やきの鶏をあのひとお弁当にもっていて、それもロシアの田舎風のゆたかさと思っていた上に畑ではデザートのムロンがごろごろしているって、心をうたれたのじゃないかしら。――無理もないわねえ。ソヴェトのゆたかさ、たっぷりさ。それと同じくらいきびしい欠乏。毎日、そのコントラストだから」
 伸子は、桜んぼうの種を手のひらにほきだしながら、笑って、
「ああ、わたし、あの女のひとが、いまフランスが先棒の反ソ十字軍に加っていないことを希望するわ」
と云った。
「わたしたち、あのひとは、どこでしたっけ、あの乗換駅。――あすこでわかれちゃったでしょう。もし、あのひとがあとでムロンを買ってたべようとして、ただの西瓜だったとわかって、ひどくがっかりでもしようものなら、危険だわ。ロシアもこれだから幻滅だなんて思うかもしれなくてよ。共産主義の国は、なんて、天気のわるいことも西瓜のことも、何からでも悪口を云うんだもの」
 伸子は好奇心をおこして、字引をひきはじめた。
「ムロンはムロンだろう?」
「そうかしら。でも西瓜は水《スイ》がつくもの」
 西瓜《ウォーター・メロン》という字からひいたら、そこには|水の瓜《ムロン・ドウ》あるいはパステクと植物の学名のような字があった。

        六

 マロニエの若葉に明るく光って降っていた午後のとおり雨は、日暮れに近くなってからあがった。
「いい気持の夕方になったねえ」
 バルコンに立って、素子は西空を眺めながら爽やかな空気を吸いこんだ。

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