アってりとしたプラタナスの緑の枝。そこに色調があり、緑色に塗られた小屋や黄色いカーテンや淋しそうな孤児院とその少女の姿に絵がある。パリへ来ると、どんな画家でもその人の一生にとって何か絵らしい絵を描く、そうさせる刺戟の半面がこあじ[#「こあじ」に傍点]な気分や調子に満ちている。しかし伸子は灰色と緑に、その淋しさをもって調和しているような少女たちの姿を見ると、そういういわゆるフランスらしい調和を突破して溌溂と生活そのもので生きているモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の野営地《ラーゲリ》の少年少女を思わずにいられないのだった。彼らは洗濯する。彼らはジャガイモの皮むきをする。食器洗いをする。つくろいものもする。きまった時間に学習し、水浴し、遊びして暮している。野営地《ラーゲリ》には、親のない子供たちの「子供の家」からもどっさりの少年少女が来た。そういう孤児たちの笑声。働きかた。クロッキーにしか描けないくらいあの連中の生活は動的だった。彼らの肉体のとおり精神も。十一二歳の少年少女の観念のなかには、国際情勢というような言葉がその内容のあらましをもって生きていた。
パリというところについて、固定した見かたや感じかたをそのままうけいれている人にとっては、伸子のこういう連想と比較は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来た人はああだから、と敬遠的に云われることなのかもしれなかった。磯崎恭介がソヴェト・ロシアの新しい絵や画家の生活、その集団が絵画上に提出している問題について、伸子たちから積極的にきこうとしないことは、伸子たちが絵画についての素人だからというためばかりだろうか。そして、伸子たちに自分の制作を見せたがらないのも。――伸子は、このことを別様に感じとっているのだった。磯崎恭介は、パリで絵を勉強している自分に[#「パリで絵を勉強している自分に」に傍点]、ソヴェト・ロシアの絵はどこか別のところのものと、考えているのだ。
予想される感じかたのくいちがいは別のことにもありそうに思えた。たとえば伸子が、パリへ来たら、ホテルの部屋にベッドばかりかさばっていて、わたしたち二人がゆっくり坐れるところは露台のわきしかないのよ、と云ったとしたら、それをきいた人たちは、おそらくそういう伸子を気の毒がって笑うだろう。寝台というものを、その上に体をよこたえて眠るところとしてしか使いみちのない、女二人の味気なさとして。ねる《セ・クーシェ》、というひとことに、いつも男と女の複雑なニュアンスをこめてにおわせることが、パリ風な気分として通用しているのだから。
伸子の生活の現実には、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のホテルの特色がうけいれられているという事実を、どうできよう。きょうの日曜日、朝から素子の歯痛でかけまわったあげく、やっと病人も伸子もくつろいで、一方はまどろんでいるところ。伸子はこうやって三階の露台から隣りの塀の中の人気ないプラタナスの繁みと、麦藁屋根の東屋《あずまや》と孤児院らしい建物を眺めているとき、さまざまの往来が心に湧きおこって、伸子はホテルのその室に、鏡つきでない仕事机さえあったらと思っている。それは伸子の実感なのだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のホテル・パッサージの、一日じゅう日光のささない小部屋でも、仕事机とその上に電気スタンドは備えつけられていた。ホテルが、先ず仕事をもっている人間の住む必要を基礎にして設備され、寝台の快適さはその上でのこととされているのは、伸子には、あたりまえで単純な人間らしいものわかりのよさ、として、うけとられているのだった。子供は保護されるべきものであり、人間が働いて生きるからには、より仕合わせな勤労にならなければならないという事実と全くおなじに。生活のそのように単純で、わかりやすく、そうにちがいないことを、それがそうであるべきように実現しようとして居り、ある部分では実現されつつあるということで、ソヴェトの社会が、ぐるりから絶え間もなく蒙っている邪魔や誹謗や意地わるはどうだろう!
ピカソの勇気、ということが驚異をもって云われている。でも彼は、新しいものをさがしているときなぜアフリカ土人の作った原始的な木偶《でく》へかえったのだろう。それから、現実をバラバラにして置く図解へ。――人間は歴史の前進において、未開の克服において新しさを創り出しているのに。同じ国の文学の世界では、数こそ少ないけれども優秀な数人の人たちが、歴史の上にあらわれた人間の新しい現実を現実としてうけいれ、そこに粗野なものと同時に人間にとってよりよいものを発見しはじめているとき、絵画が、ピカソの最も果敢な精神においてさえ、未開にひかれ、現実の分解図解の方向にばかり向けられている。その角度が、一九一八年
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