ノ石田重吉という一人の青年の名とその青年のかいた文芸評論についての印象がうずめられて行った。
一月二十一日の「|赤い星《クラースナヤ・ズヴェズダー》」に、スターリンの「階級としての富農《クラーク》絶滅の政策に関する問題について」という論文が出た。
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]全市は真白い砂糖菓子のようになって、厳冬《マローズ》の太陽の下に白樺薪の濃い黒煙をふきあげながら活動している。そのモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]が、外国人であり、何の組織に属しているのでもない伸子にさえ、それとわかる衝撃を、この一つの論文からうけた。
富農《クラーク》がソヴェトの穀物生産計画を擾乱《じょうらん》している事実は、おととし、一九二八年の穀物危機とよばれた時期から、誰の目にもはっきりした。この実情が、レーニングラード、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]その他の都市の労働者に、集団農場《コルホーズ》化へ協力しなければならないという関心をよびさました。翌年の春の種蒔き時をめざして、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の「デイナモ」工場や「槌と鎌工場」その他からコルホーズを組織するための協力隊がウクライナ地方を主とする各地の農村へ出かけて行った。伸子が肝臓の病気になって入院する前の秋から冬にかけてのことだった。
工場の仲間におくられて賑やかに都会を出発したコルホーズ協力の労働者たちは、やがてあちこちの農民の間で予期しない経験をするようになった。工場からの労働者たちは、多くの場合その危害からとりのけられたが、コルホーズ指導のために村へ先のりした若い政治部員たちや、村ソヴェトの中でその村の有力富農やぐずついている中農に反対して集団農場化を支持する少数の貧農の青年たちなどが、富農に殺されることが少くなくなった。
「コムソモーリスカヤ・プラウダ」には、そういう事件の内容が、わりあいこまかに報道されていて、なかには伸子の忘れられない、いくつかの物語があった。
ある村へ、二人の若い集団農場《コルホーズ》化のための指導員が行った。その辺は富農たちの勢力のつよい地帯で、二人の若者は警戒して行った。ところが実際着いてみると、村ソヴェトでの集会も思ったよりはるかに集団農場《コルホーズ》化を支持している空気であったし、村の富農は非常に丁寧に二人の若い指導員たちをもてなした。正式の集会のあと、富農の家で村の多勢が集って活溌な討論をつづけ、「二人の客」が疲れて眠りについたのは、もう大分の夜更けだった。ロシアの村でよくもてなされた、というからには、二人の若い指導員たちは、話すことと同量にたっぷり食べ、また、たっぷり飲んだことだったろう。「二人の客」は特別のもてなしの一つとして、柔かくて、いい匂いがして、最も寝心地のよいところとされている乾草小舎に泊められたのだった。
すると、夜あけ前に、その乾草小屋から火が出た。「村の連中は何しろ、おそくまでうちこんで討論したあげくだから、疲れていた」と、その通信員は村の誰かれの話を引用していた。「主人も、ぐっすり寝こんで、火が乾草小舎をつつんでしまうまで気づかなかった」。やがて火事が発見され、村のスリ半《ばん》がうちならされた。村人たちが現場へかけ集った。焔はすでに乾草小舎をつつんでいる。勇敢な一人の若者が火をくぐって小屋にかけよったが、錠がかけられていて手の下しようがなかった。「二人の客」は完全な二つの焼死体となって焼跡から発見された。地方の警察につれてゆかれるとき、その主人である富農は、こう呟いて地面へつば[#「つば」に傍点]をはいた。「ウフッ! 指導員! 乾草小舎でタバコは禁物だってことさえ知りやがらねえ。奴らのもって来るのはいつだって災難きりだ」。しかし、その晩、「二人の客」を乾草小舎へ送りこんだ連中の中の一人の農民は次のことを目撃していた。タバコを吸っていた一人の指導員は、小舎に入る前に戸の手前でタバコをすてて、それをすっかりふみ消した。「二人の客」は酔っているというほどではなかった。どうして、乾草小舎に錠をかけたかという質問に対して、富農は答えた。ヘエ、訊きてえもんだ。お前のところじゃ、乾草どもが、自分で内から小舎の戸じまりでもしているところなのかね。俺は客人に間違ねえように、と願っただけだった。自分でやけ死んで、こんな迷惑がおころうとは思わなかった。――
この物語や、討議しているうしろの窓から狙撃されて死んだ政治部員の話。橇で林道を来かかった地方ソヴェトの役員の上へ、大木が倒れかかって来てその下につぶされて死んだ話。それらは、みんな伸子に、二十歳を越したばかりだったゴーリキイが、人民主義者《ナロードニク》のロマーシンといっしょに暮したヴォルガ河の下流にある村での経験を思
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