[の胸に派手なネッカチーフをたらして、目をはなさず窓外の景色を見ている。伸子は熱心に国境沿線の景色を見ながら、ベルリンへついたとき、あわてて降りて、パリからの列車の中に置き忘れて来てしまった絵の具箱とおもちゃの白い猿のはいったボール箱のことを思い出しているのだった。
ああ、ほんとに眠って、来てしまった! パリを出る最後の十二時間は、伸子をそれほどくたびれさせた。
簡単に考えていた荷づくりが案外ごたついた。親たちがパリを引きあげるときペレールのアパルトマンの食堂のテーブルの上へ、敷布類だのテーブル・クローズ類をのこして行った。伸子の数少い手まわりのどこにもそれらを入れる余地がなくなって、蜂谷良作が下宿へもどって伸子のために中型鞄を一つもって来てかしてくれた。そんなごたつきの合間合間に、蜂谷は、自分ひとりパリにのこされる事情になったことを歎いた。
ベルネの家の二階の、伸子の室の床の上で画集をつめた紺色のトランクに鍵をかけながら、蜂谷は訴えた。
「こんなに、きみを離したくない僕が、誰よりもきみの出発を手つだっているなんて――」
きのう百貨店ルーヴルへ一緒に行って、伸子がそのトランクを買う手つだいをしたのも蜂谷だったし、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]までの切符をととのえたのも蜂谷だった。
「これから、僕はひとりで、パリで、どうして暮していいのか、わからない」
伸子は、一旦平らにして入れた敷布を又とり出して、こんどはくるくるまいて借り鞄のよこへつめこむ手をやすめずにいうのだった。
「だって、蜂谷さんはもう二年もパリで暮したんじゃないの、わたしのいたことの方が偶然だったんです。あなたはちゃんと暮せてよ」
「だから、佐々さんには分っていないんだ、きみがいなかったときはいなかったときだ、まるで、今とはちがう」
「じゃあ、どうすればいいと思うの?」
おこった瞳になって、伸子は蜂谷の、悲しげなしかめ顔を見据えた。
「あなたは、わたしをパリにひきとめようとばかりなさるけれど、いっぺんだって、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ行こうとはおっしゃらなくてよ、知っていらっしゃる? そのこと。――」
窓に向って衣裳箪笥と壁との間に、窮屈にはさまれているデスクの上から伸子はこまごまとした手帳、文房具、手紙の束などをもって来て、女持ちの旅行ケースにつめはじめた。ケースには、パリ、ロンドン間の飛行機でとんだときの赤と白とのしゃれたラベルが貼られている。
「ね、わたしたちは、ぎりぎりまでお互を知りあったのよ、それはそう思えるでしょう? そして、わたしはもうモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰る時だということが、はっきりしたんだわ――惰勢で、お互を妙なところへ引きずりこむなんて――それは、わたし、したくないの」
「そうだ、きみは――そうなんだ」
二人の間に荷づくり仕事のごたごたをおいて、伸子と蜂谷とが床の上にかがんだり、椅子においたトランクの前に立ったりしてそういう会話をとりかわしたのは、夜なかの二時すぎであった。ベルネの家族たちはねしずまり、少くとも寝しずまっているように見え、あけはなしたドアから明るい燈の流れ出しているのは伸子の室だけだった。
伸子と蜂谷は、そうして夜明しした。伸子は意識して、夜なかじゅうくつろぐ空気をつくらなかった。朝早く北停車場から出発するベルリン行列車の車室はうす暗い、そのうすら寒さとうす暗さの裡で、蜂谷良作はしびれるようにきつく、外套の上から伸子の腕をつかんだ。
「佐々さん!――最後なんだから――少くとも僕にとって、これが最後なんだから……」
蜂谷との間にそういう機会をもつようになってはじめて、素直に、自発的に、伸子は蜂谷の顔を両手の間にはさんで接吻した。彼と自分とのために、いい生活の願いをこめて。クラマールの生活で二人が経験したことの中に、蜂谷を軽蔑し、伸子自身を軽蔑すべき何があったろう。二人はそれぞれに、これまで知らなかった男と女とを知り、そのように存在する男である自分、女である自分を見出した。微妙で、はげしく、限界のきまっていない男と女のひきあいの間で、伸子と蜂谷とは、きわどく近づき、またはなれ、舞踊のように自身をためしながら格闘した。その格闘は、ひきわけに終りつつある。格闘のなかには、幾世紀もの間、男と女とが互の上にくりかえして来た征服の意欲とはちがった互格のはりあいがあり、それは何かの新しい意味をもっている。結論として、伸子が、断然モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ向って出発するという形をとって表現されるような。――
「じゃ、ほんとうに、さようなら。いろいろありがとう、よく暮しましょう、ね。きっと、ね」
伸子の言葉を縫って発車のベルが響いた。蜂谷は、うめくよ
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