、」
と云った。――きょう[#「きょう」に傍点]は? このヴェルダンへ二度来ることは考えられない。
「帰りましょう」
一層決論をつよめるように蜂谷はくりかえした。
「――帰った方がいい」
「ベルネのうちのひとたちに対して?」
その心づかいなら、今夜クラマールへ帰ってから、蜂谷がちょっとベルネの家へまわって伸子が泊ることを知らせてくれたらそれでいいと、伸子は考えているのだった。しかし、蜂谷は、がんこに伸子が一人でヴェルダンにのころうとするのをさえぎった。
「僕には、佐々さんをひとりここへおいて帰るなんて、出来ないことなんだ」
もうあと十分でパリへ帰る列車が出るというとき、
「さ」
蜂谷が伸子のハンド・バッグをとりあげてわたした。
「出かけましょう」
旅行用のいくらか大型のそのハンド・バッグには、マース河岸の土産屋で伸子がベルネの細君のために買った銀の記念スプーンがはいっているのだった。
朝来たと同じ道を、パリへ向って進んでゆくのだけれども、沿線の風景が濃い闇に包まれている夜ふけの汽車は、いかにもカタリコトリと寂しかった。一つの箱に乗客もまばらで、伸子たちのいる仕切りは、伸子と蜂谷きりだった。坐席にかけている人の背たけ越しにベンチの背板がずっと高くつけられているから、外の景色を見ることの出来ない夜汽車で伸子の視野は古びた茶色の板仕切りにはばまれて何となし家畜運搬車にはいっているような感じがするのだった。
「あら、この汽車! ランプよ」
車内がひどくうす暗く思えたわけがわかった。丁度伸子たちがかけている後の羽目の高いところにガラスのおおいのついたランプがおかれている。同じ箱のあっちの端にも同じあかりがついているが、その光りでものを読むことは不可能だった。
ひろい闇の中に小さく電燈をきらめかせているいくつかのステーションをすぎたとき、伸子が、
「すこし寒くなって来たようじゃない?」
と云った。蜂谷が自分の合外套をぬいで、伸子に着せかけようとした。
「それじゃあなたが風邪をひくわ」
「僕はいいんだ」
「ほんとに?」
蜂谷はうなずいた。
「じゃ、かして」
その外套を羽織って伸子は窓とうしろの羽目の隅に肩をよせかけるようにして目をつぶった。
「眠るとほんとに風邪をひくから駄目だ」
「眠りゃしないわ」
背中は少しぞくぞくするようなのに、頭のしん[#「しん」に傍点]はあつくて、それは、一日じゅうオープンの自動車にのって風をつっきって走ったからだ、と伸子は思った。
「気分がわるい?」
「いいえ」
シャロンのステーションは、この地域でもいく分大きい町らしく、明るい駅頭に乗り降りする人影が黒く動いたが、伸子たちの車室へは入って来る乗客も降りてゆくものもなかった。もしかすると、伸子たちのところからは見えない仕切板のあっち側には、誰ものっていないのかもしれなかった。
「何だか僕もすこし寒くなって来たみたいだ。もっと近くに坐ろうよ」
「この汽車ったら、あんまり、がらあきなんだもの……」
伸子は、窓ぎわの隅からはなれて、ベンチのまんなかにいる蜂谷のわきにかけ直した。
夜に響く単調な車輪の音にひきこまれたような沈黙を破って蜂谷がぽつんときいた。
「佐々さん、ほんとに十一月いっぱいでパリをひきあげるつもりなのかな」
「そうよ」
「――ぜひもう一遍、どこか近いところへ行きましょう。ね、こんなに長い汽車にのらないでいいところへ」
「どんなところ?」
「そりゃ、いろいろある」
「だって、わたしたち、どっちもろくにお金をもってないくせに」
伸子は、笑いだした。
「わたし、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰る旅費だけは、大事にとっておくんだから」
眉をしかめるような斜かいの見かたで、蜂谷は、彼のかたわらに笑っている伸子を見た。
「僕は、きょうだって、外の連中と来たのは失敗だったと思っていたんだ」
「どうして?」
ぼんやりしていた伸子の注意がめざまされた。伸子は、はっきりした声の調子にもどった。
「丁度六人で、きっちり、都合がよかったと思うわ」
「そんなことじゃない……佐々さんは、きょうは、いつものきみじゃあなかった」
たしかに、ヴェルダンの一日、伸子は口数が少なかった。伸子の受けた感銘がそうさせたのだった。
「それは、わたしが感じたことは、言葉にすると、どれもこれもセンチメンタルみたいだったから……」
「ほかの連中がいなけりゃ、佐々さんはもっと自由だったにちがいなかったんだ。僕はそれが残念だというんだ」
伸子にものをいうひまを与えず、
「僕には、大体わからないんだ。伸子さんともあろうひとが、どうして、そんなにいつもセンチメンタルになることをおそれていなけりゃならないのか」
蜂谷の云いかたは腹をたてているように、圧しつ
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