{の柱が立っている。そのかげはもうたそがれて薄暗い。そこでは三四十本の銃剣が、いらくさ[#「いらくさ」に傍点]の間から地上に突き出ているのだった。
銃剣は赤くさびている。この斜面に密集して進もうとしていたフランスの歩兵が、隊列のまま土の下に埋められた。
どこか人工の加えられた記念物という感じがしなくもないその「歩兵の塹壕《ざんごう》」から一ヤードほどのぼった前方の草むらの間に、伸子は何かキラリと光って落ちているものを発見した。近よって、かがんで、いらくさの蔭に小さく光っている金色の輪のようなものの正体を見さだめたとき、震えが伸子の背筋を走った。それは、一つの銃口であった。地面にのぞいているその小さい一つ口は、そこに在った命を訴え、彼が生きていたことを訴え、だが今は死んで久しくなったことについて訴えている。伸子は、おもわずその金色の口を撫でた。金色の口は小さく、円く、あわれにかたかった。
伸子は、しばらくそこにかがんでいた。この金の口が光っているわけがわかった。ここへ来て、いらくさ[#「いらくさ」に傍点]の間におちているこの一つの輪を見つけたとき、おそらく、どこの国の女でも、彼女が平民の女であるならば、思わずかがんでそれを撫でずにはいられないであろう。
ドゥモンの砲台のわきから細い裏道づたいに下ってゆくと、すすきに似た草の穂がゆらいでいる砲弾穴に、さびた鉄兜や空罐《あきかん》がころがっている。朝の霜にゆるんだまま程なくふたたび夕闇に沈みこもうとしている丘かげの、足許のあやうい赫土《あかつち》の小道の上に伸子は一つの女靴の踵の跡が、くっきりと印されているのを見た。
十三
伸子の瞳のなかに、ドゥモンのいらくさ[#「いらくさ」に傍点]の間の金の小さい輪が光っている。彼女の額の上には、女靴の踵のあとが銀杏《いちょう》の葉のようについている。伸子は自分の瞳であっていつもの自分の眼ではないような視線で、運転手とその三人の仲間が近くのテーブルのまわりでカード遊びをしている光景を眺めていた。
六人の日本人が要塞見物を終って、ヴェルダン駅前の出発点へ戻って来たのは、日がとっぷり暮れてからだった。ホテルは、昼間つかっていた正面入口わきの正食堂をしめて、横通りから入るカフェー・レストランだけあいていた。そこの一隅で六人がちょっとした夜の食事をすませた。案内役をかねた運転手も、その店の一方の隅のテーブルで食事をし、いまはタバコをくわえて男たちばかりの仲間でカード遊びをしている。
同行の男のひとたちをタバコの煙のなかにおいて、伸子はすこしはなれた長椅子のところで脚をのばしているのだった。タイルで床をはられた店内に、あまり十分でない明りにてらされている十三四人の人間がその夜ヴェルダンで生きている人間のすべてであるようだった。
マース河の河岸よりにひとかたまり旧ヴェルダン市の破片がのこっていて、そこに土産物を売る店があった。ごたごたしたその小店とその内に動いていた人々の姿を思い浮べることができるが、その河岸の店の灯の色と伸子がいるカフェー・レストランの内部との間には、深い沈黙の夜がひろがっている。
生きているもののない夜の沈黙の深さは、何と独特な感じだろう。六人の日本人はみんな口かずの少い一日をすごした。一日の周覧を終って、いくらか葡萄酒のほてりが顔色にあらわれていても、男のひとたちのテーブルから笑声は立たなかった。どこでも同じことだなあ。一将功なって万骨枯る、というのはまったくだ。ドゥモンの要塞から下って来るとき、一行のうちの誰かが感じふかそうにつぶやいた。その感慨は、六人の、みんなの心に流れているのだったが、伸子には、疲労ともつかない肉体と心の苦痛の感覚があった。その感覚は、とらえどころなく伸子の内心にひろがっている激しい抗議の感情に通じた。そしてしずかにカード遊びをしている四人の男を見まもっている彼女の瞳のなかに、黒い、きつい焔をもえたたせているのだった。
午後じゅう、ひき裂かれた戦跡をめぐって来た伸子の体と心を、いま貫いて焦《い》らだたせているのは率直な、譲歩のない生への主張だった。巨大な死への抗議だった。ヴェルダンというところは「フランスのために」という言葉で現実を欺瞞する人々の作品だと、伸子には思えて来るのだった。悲壮に、英雄的な行動の記念としてしつらえられているすさまじい破壊の跡は、戦争の罪ふかさとそれが誰のためにたたかわれたものであるかということを考えるより先に、破壊力の偉大さで人々をおどろかせる。おどろいて心をうごかされた善良な人々は涙もろくなり、戦争そのものと、それをおこす者どもがあることをいきどおり拒むよりも、そこで命をおとした人々をいとおしみ、神よ、彼らに平安を与えたまえ、と祈ってヴェルダン発の
前へ
次へ
全437ページ中335ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング