Xに見えもすれば、きこえもする。エレヴェーターへの出入りも、一旦カウンターの横を通らずには出来なかったから、伸子は、そこでいわばさらしもの[#「さらしもの」に傍点]めいた立場だった。
伸子は、たくみにおかれた自分のそういう位置を意識するよりもよりつよく、白眼のどろんとしたマネージャーのおしかぶせた態度に、反撥した。
「あなたは、おそろしく率直です」
伸子は、ちっとも自分の声を低めないで云った。マネージャーの男は、伸子に向ってほとんど怒鳴っている、と云っていいぐらいの大声をだしているのだった。
「あなたのホテル経営法は、どういう性質のものだかわかりました。しかしね、わたしはホテルの室代としてきまった料金を払っています、一〇パーセントのティップを加えて。――わたしは豪奢な客ではなくても、あなたのホテルにとってちゃんとした客です」
「わたしどもは、もっとずっと多く、あの部屋から利益を得ることができるんだ」
まるで、カウンターのまわりに動いている人々に、自分のうけている損害を訴えかけでもするように視線をおよがせながら、マネージャーは大仰にこめかみのところへ手をあてがった。
「あなたのような若い女のくせに、わたしに損をさせるもんじゃない!」
これは途方もない、云いがかりの身ぶりだった。
「わたしに責任はありません。あなたが|食事つき下宿《パンシオン》と、入口にかき出しておかなかったのは、お気の毒です」
「別のところへ部屋を見つけなさい。もっとやすいところへ――やすい[#「やすい」に傍点]ところへ」
フランス人に特有な両肩のすくめかたをして、男は伸子にわからないフランス語のあくたい[#「あくたい」に傍点]をついた。
「あなたが部屋をあけなければ、あなたの荷物を、道ばたへ放っぽり出すから!」
伸子は腹だちを抑えられなくなった。
「あなたにそうする権利があると信じているなら、やってごらんなさい。――やって《ジャスト》、ごらんなさい《トライ・イット》! わたしどもは、その結果を見ましょう。フランスは法律のない国ですか?」
やっと男はだまった。
「わたしの承知なしで、あなたは何一つすることは許されません、荷物にさわることも、室をひとに貸すことも――」
おこりきった顔と足どりで、伸子はさっさとホテルの玄関を出た。戸外には、天気のいい十月の朝の、パリの往来がある。小公園のわきをとおってペレールへの横通りへ曲りながら、伸子は、だんだん腹だちがおさまるとともに、あのホテル全体に対するいやな気持がつのって来た。
伸子が云いあらそっているとき、わざとゆっくりカウンターのわきを通りすぎながらきき耳をたてていた男女や、必要以上ゆっくり食堂に腰をおろしていた連中の顔の上には、自己満足があった。学生らしい身なりをしていて、ろくな交際もないらしく、一人で出入りしている若い女、ホテルに余分な一フランも儲けさせない女。そんなこんなで、マネージャーにいやがらせを云われている女。小綺麗なモンソー公園の近くに、その名にちなんだしゃれた唐草模様ガラス扉をもっている小ホテルのカウンターでくりひろげられたのは、バルザックの小説のような場面だった。
伸子は、たかぶった自分をしずめるためにペレールの家の前を通りすぎて、ペレール広場まで行って、そこからもどって家へ入った。
ペレールの食堂では、泰造と多計代のジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]行きについて、その小旅行につや子をつれて行くか、行かないかの相談最中だった。
「どうします? つや子」
泰造らしく、末娘の意見をきいている。その調子のどこかに、重荷を感じている響があった。手荷物の多い多計代一人が道づれでも、税関その他での心労が、六十歳をこした泰造には相当こたえるらしかった。
「たった四五日のことだから、こんどは留守番しますか、姉さんにでもとまってもらって……」
つや子にしても、またジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ行って、中途半端な自信なさで大人ばかりの客間から客間へひきまわされることは、気づまりらしかった。つや子は、
「お留守番する」
と答えた。
「伸ちゃん、泊ってもらえるんだろうね?」
「ええ……できると思うわ」
「おや、何だか御不承知らしいね」
みんなにはだまっているが、けさのホテルでのことがあるから、伸子は、四五日こっちへとまるとしたら、と、ホテルの荷物がどうにかなってしまわないかしら、と思ったのだった。
「よくてよ、安心して行ってらっしゃい」
何かおこれば、おこったときのことだと伸子は心をきめた。
「じゃあお父様、そうきまったんなら、切符をお願いいたしますよ」
泰造は間もなく外出し、多計代は、ゆうべよく眠らなかったといって寝室へもどった。親たちの留守、姉とだけ暮すということ
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