ソに向って、ひとりだけ離れて一つの椅子にかけた。
だまってかけている人々の上から、夜ふけの電燈がてらしている。須美子は、日ごろから着ている黒い薄毛織の服の膝の上に、行儀正しく握りあわせた手をおいて、悲しみにこりかたまって身じろぎもしない。黒いおかっぱをもった端正な須美子の顔の輪廓は、普通の女のように悲しみのために乱されていず、ますます蒼白くひきしまって、須美子そのものが、厳粛な悲しみの像のようだった。
須美子のそのような内面の力を、おどろいて伸子は眺めるのだった。須美子の純粋な精神が、悲しみのそのようなあらわれのうちに充実していて、彼女のあんまりまじめな悲しみようにうたれた人々は、なまはんかな同情の言葉さえかけるすきを見出さないのだった。
沈黙のうちに、重く時がうつって行った。伸子は寒くなった。失礼いたします、と、ぬいであった外套を着た。
「須美子さんは、少し横におなりになったら?」
「ありがとうございます」
「さむくないかしら」
「いいえ」
僕も失礼して、と二人ばかり外套を下半身にまきつけた人があった。須美子は動かない。そしてまた沈黙のときがすぎた。
こんなに苦しく、こりかたまっている悲しみの雰囲気を、通夜をする客たちのために、もうすこししのぎよくするのが、いわば女主人側でたった一人の女である自分の役目なのではなかろうか、と伸子は思いはじめた。日本の通夜には、それとしてのしきたりもあって、伸子に見当もつくのだったが、フランスの人々は、こういう場合どうするのだろう。何かあついのみものと、ちょっとしたつまむものが、夜なかに出されて、わるいとは思えない。でも、それは、どうして用意したらいいのだろう。デュトの街では夜が早く更けて、カフェーが夜どおし店をあけているという界隈でもなかった。パリの生活になれず、言葉の自由でない伸子は、宿のマダムと直接相談することを思いつかないのだった。
しばらくの間こっそり気をもんでいた伸子は、やがて、すべては須美子のするままでいいのだと思いきめた。彼女の深い悲しみに対して、伸子が、世間なみにこせこせ気をくばる必要はないのだ。彼女の悲しみを乱さなければ、それが一番よいのだ。磯崎と須美子は、恭介が生きていてこの人々とつきあっていたときの、そのままのやりかたで、今夜もすごしていいのだ。それが友達だ。
須美子は、ときどき席を立って、恭介の横わっている隣室へいった。その室に須美子がいなくなると、客たちの間には低く話しがかわされるのだった。
あけがた、宿のマダムがドアを叩いた。そしてあついコーヒーが運びこまれた。
四
朝九時ごろに、伸子はいったんペレールへ帰った。朝飯がはじまろうとしているところだった。伸子はテーブルのよこに立って熱い牛乳をのんだだけで、まだ片づけてないつや子の部屋へはいって、午後二時までひといきに眠った。
出なおして、伸子はこんや最後のお通夜につらなるつもりであった。つや子の室の隅においてあるトランクから、夜ふけてきるために、もう一枚のスウェターを出していると、アパルトマンの入口でベルが鳴った。マダム・ルセールが取次に出て何か云っている声がした。泰造と多計代とは出かけてしまっていた。入口のドアをそのままにして、マダム・ルセールが寝室の方へ来る。そのとき、つや子がそれまでひっそりして花のスケッチをしていた客間から、とび出して、伸子のいる室へ入って来た。
「ごめんなさい、忘れて。お父様が、これをお姉様に見せて、って――」
一枚の名刺を伸子にわたすのと、マダム・ルセールが、
「マドモアゼル。ムシュウ・チグーサがおいでです。お約束してあるとおっしゃいます」
というのと、同時だった。千種清二と印刷されている名刺の肩に、泰造の字で、一昨日大使館にて会う。伸子にぜひ面会したき由。九月二十九日午後来訪の予定。と走りがきされている。千種清二というひとの住所には、日本大使館がかかれていた。
名刺を手にもったまま伸子は、気がすすまなそうに、ちょっとだまって立っていたが、
「ありがとう、マダム・ルセール。わたしが彼に会います」
伸子は入口に行ってみた。そこに立っているのは、二十四、五に見える、陰気そうな青年だった。伸子は、友達に不幸がおこって、すぐ出かけるところだからとことわって、客間へ案内した。つや子が、あわてて画架の上のカンヴァスをうらがえしている。伸子は、むしろつや子にいてもらいたかった。
「いいのよ、そのまんまで、つや子さんも失礼してここにいたら?」
客間におちついたその青年を見ると、泰造がうけとって来た名刺と、そのひとからじかに伸子がうけとる感じとの間に、ちぐはぐなものがあった。パリ駐在の日本大使館の人たちといえば、書記官の増永修三だけがそうなのではなく、書類をあ
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