激買Fーターのよこから階段をのぼりはじめた。あたりは明るくて人気ない夜更けの階段をのぼるとき、誰でもがするように何となし靴音をはばかって登って行った二人は、二階の廊下へ出た瞬間、思わず立ちどまった。電燈の明るい廊下に向ってかたく閉められているドアの前には、ドアごとに男の靴と女の靴とが一組ずつ出してあるのだが、それが、何者のしわざか、てんでんばらばら、ごちゃまぜにして、片ちんばにされているばかりでなかった。一つのドアの前で片ちんばに組み合わされた男の靴、女の靴が、いかにも踊っている形で向いあわされているかと思うと、そのさきのドアでは、靴のぬげたのをかまわず逃げる女を、男が追っかけてつかまえたとでもいうような形に男靴女靴がいりみだれている。その廊下で、いたずらをされていない靴は一組もなかった。あげくのはて、一つずつ物語を仕組んでゆくのが面倒くさくなったか。ええ、とばかりふらつく両手につかみあげた男靴女靴をあたりかまわず赤い絨毯の上へばらまいたらしく、女のよそゆきのエナメル靴、男靴が、そのやけっぱちな無茶苦茶ぶりに何とも云えないおかしみをたたえながら、あっちこっちにぶちまかれているのだった。
 三階へのぼる階段口に佇んで、伸子と素子とは、はじめ、何だろうと思ってその光景を眺めた。やがて軽いやきもちをより多くの茶目気であらわしたようないたずらの気分がわかって二人は笑い出した。
「なるほどねえ、これがパリっ子か。わるくないじゃないか」
「三階もこんなかしら」
「さあ、どうだか」
 いたずらをした者はこのホテルの三階に泊っているのかもしれなかった。三階の廊下には何のかわったところもなかった。赤い絨毯のしかれた明るい廊下に向って、ドアの前に男の靴は女の靴と並んで、しずまっていた。
 伸子たちは七階まで、ゆっくり歩いてのぼった。見ると、伸子の室に隣りあわせたドアの前にも、ゆうべまで見かけたことのない女靴が一足、平凡な男靴とならべて出してあった。深夜の明るい廊下を、ドアごとに出されている男と女の靴をながめながら歩くとき、伸子は、まざまざとそこに人を感じ、丁度抱きあって踊っている組と組との間を単身すりぬけてゆくような感覚だった。
「テラスでちょいと休もうか」
 何となし低い声で云って、素子は伸子の室へ一緒に入った。
 一旦つけた灯をまた消して、二人は露台へ涼みに出た。街ではまだ人々が踊っている。音楽がきこえて来る。夜空の下に、パリ名物の細い煙突が無数に林立している屋根屋根が続き、はるか遠くセイヌ河の対岸でエッフェル塔のイルミネーションが、パリ祭の夜をとおして明滅している。イルミネーションは、シトロエン6、シトロエン6。それからシトロエン6・6・6とせわしくまたたいて、シトロエン自動車の最新型6シリンダーの広告をしている。
 統一労働総同盟《シー・ジー・ティー・ユー》は、こんやの革命記念祭のためにパリの労働者地区のどこかで、午後は演説会を、夜は盛大な祝祭を催しているはずだった。「リュマニテ」のひと隅に、伸子はそれらしい広告を見た。伸子たちのパリには、七月十四日の夜じゅうピエロ帽をかぶって、コンフェッティをぶつけあってナイト・クラブをひっぱりまわす人もいないかわり、東部《ルエスト》のそういう組合の祝祭や演説会へ案内してくれる人もいない。
 革命というものの実体は忘られて、庶民風な男女の無礼講、おおっぴらな歓楽の夜としてのパリ祭を、伸子と素子とは街の上にもホテルの内にも発見しているのだった。
 午前一時すぎの涼しい露台に坐って、伸子と素子とはかすかな疲れを感じ、一種の寂しさを感じ、その為に互に相手を優しく思いあいながら沈黙していた。歓楽の雰囲気があんまりおおっぴらで、横溢的なので、さすがの素子もその撩乱ぶりに圧倒されたようだった。おはこの花柳界じみた皮肉やわるじゃれをひとことも云わず、むしろ、おとなしくまじめになっている。そういうときの素子を、伸子は好きだと思った。皮膚に興奮したつややかさを漂わせながら、ひきしまっている素子の顔つきもよかった。
 小一時間も二人が露台にいるうちに、あちこちに響いていた音楽の数はいつか減って、今は一番近所のどこかの街角で奏されているヴァイオリンとピアノばかりが祭の夜の最後の一曲を、という風に張った調子できこえて来る。
「寝ようか」
 素子が露台から立った。
「ぶこちゃんもねるだろう?」
「ねるわ」
「…………」
 何かためらっている風だった素子が、露台と室との境のところで、伸子の手をとった。
「じゃ、おやすみ、ね」
 素子のその声には、思わず伸子を素子の方へつき動かす調子があった。伸子は、素子をかたく抱きしめて、自分の頬を素子の頬におしつけた。よろけかけてやっとふみとどまった素子の背中の骨の、いかにも細くかよわく彎曲した
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