ヲば、いっそ『何が彼女を』なら、そのまんまで行くのさ」
「そりゃそうですがね」
 中館は伸子にききわけられなかったベルリンの興行会社の名を云った。
「あすこじゃ、あれを蹴ったんだ」
 その同じ会社が、こんど中館の作品を買おうというのだった。
「ふうむ。そこなんだ、いつも……」
「――だろう?」
 川瀬勇の眼玉のギロリと行動的な相貌と、太い黒ぶち眼鏡と重なりあっている濃い眉のニュアンスのつよい中館公一郎の顔とが、瞬間まじまじと互の眼のなかを見つめあった。
 中館のこころもちはモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に来ていたときより、ずっと実際的な問題にみたされている。伸子はベルリンへ来て間もなくそれに気づいていた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で会ったときは、ふるい歌舞伎の世界にいたたまれなくなって、そこから脱出しようとしていた長原吉之助の方が思いつめていた。あれからベルリンへかえって、七八ヵ月の生活が中館公一郎に何を経験させたかは、伸子にはかり知られないことだった。しかし、川瀬勇との話しぶりは、いつも会っていて、何か継続的な問題について論じあっている友達同士のもの云いであり、省略の中に二人に通じる何か根本的な問題がふれられていることを、伸子に感じさせるのだった。
「――実際、映画や演劇って奴は、ギリギリまで近代企業でいやがるからね」
 眼玉の大きい顔を平手で撫でて、川瀬勇はいまいましそうに巻き舌をつかった。
「ドイツ映画にしたって、もう底をついたさ。エロティシズムにしろ、異常神経にしろ、マンネリズムだ。パプストにしたってうぬぼれるがものはありゃしないんだ。そうかって、一方じゃラムベル・ウォルフでもう限界なんだから」
 映画制作が大資本を必要とするために、左翼の芸術運動が盛なように見えるベルリンでも、プロレタリア映画の制作は経済上なり立ちにくいということだった。
「このまんまトーキーにでもなったら、ドイツ映画も末路だね」
「そうさ、目に見えていら。アメリカ資本にくわれちまうんだ」
 そのビール店では、入って来るなりいきなりバアに立って、たんのうするだけのむと、さっさと出てゆく人々も少くない代り、片隅へ陣どったら容易に動き出さない連中もかなりいた。それらの男女の姿が店内に煌く鏡にうつり、伸子のいる隅からは、すっかり夜につつまれた大通りの一角が眺められ
前へ 次へ
全873ページ中438ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング