唐フ室の三方の壁は、やさしく地味な小枝模様の壁紙で貼られていた。壁の上の楕円形の鏡に金色の細ぶちが輝いて、二つのベッドの前に赤い小絨毯がおいてあった。
川辺みさ子がウィーンでくらした下宿というのは、どこのどんな家だったろう。そして、川辺みさ子の体が窓から落ちて横たわったウィーンの通りというのはどんな通りだったのだろう。伸子は生々しいようなこわい思いで、自分のすぐ横に開いている三階のひろい窓から外をのぞいた。天気のいい日が向う側の建物に照っていて、伸子の窓の下は、人通りのすくない横通りのペーヴメントだった。灰色に乾いた日向のペーヴメントの車どめの石の上に半ズボンの男の子がちょこんと腰かけて、両手の間で何か小さい物をああし、こうしして、しきりに研究中らしくいじくりまわしている。余念のない少年の動作を見おろしているうちに、伸子はいつか川辺みさ子の最期についての暗く凄じい回想から解放された。同時に、まるでそれは人気ないその部屋のどこかではっきり云われた言葉であるような感じで一つの疑問がおこった。どうして川辺みさ子は自分の音楽で世界を征服するなどと、いう気になったのだろうかと。川辺みさ子の生涯が悲劇として終ったあとも伸子はそれを川辺みさ子個人の天才癖の悲惨とだけ思っていた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]生活の間、そこできく音楽と川辺みさ子の回想は、一度も結びついたことがなかった。――ベートーヴェンの音楽のどこに、いわゆる征服的なものがあるだろう。あるものは、人間の存在にさけがたい苦悩と擾乱の克服ではないだろうか。苦しむ人間の情熱そのものが昇華しようとする過程が嵐のようなとけるようなアダジオとなって新しい生への意欲へと運ばれてゆく。それだのに、何故川辺みさ子はそのようなベートーヴェンの本質が、世界を征服すると思ったのだろう。
ペーヴメントの上にいる少年の動作を見おろしている眼をしばたたいて、伸子は自分にわきおこった新しい疑問におどろいた。征服[#「征服」に傍点]したいと思ったのはワグナーだったのに、と伸子は考えた。彼はウィルヘルム一世にああいう手紙をかいたのだから。――人民を温和にして統治しやすくするために最も有効果なのは宗教ならびに音楽であります、と。ニイチェは、音楽をそういう風なものとして皇帝に売りつける晩年のワグナーに腹を立てて仲たがいした。伸子にはニイ
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