閧ネい色の渾沌は、わが身の上に映って動き流れるが、伸子はそれをつかまえてどの一つの色に統一させるということもできず、流れてとまらないおちつきなさを静止させる力もない。
伸子は手紙をしまってから、永いこと枕の上へ仰向いていた。涙にならない涙が伸子の胸のうちを流れた。多計代のえたいのしれない強烈さ。伸子がそれを堪えがたく感じ、偽善だと感じる愛の心理のちぐはぐさ。それが母にとっては微塵のうそのない真情であり、すべての行動はその真情から発しているほか在りようないものと信じられているのを、どうしたらいいのだろう。おそらく多計代にとって世の中には善いことと悪いこととしか存在していないのだろう。そして、「母」は本原的に善に属すものと考えられているのだろう。伸子は歎きをもってそう思った。けれども、生活には、善悪のほかに、母のしらない堪えがたい思いという種類のことがあるのだ。その堪えるにかたい思いを、伸子は多計代との間であんまりしばしば経験しなければならない。それが伸子のやさしくなさ、冷刻さと云われるときこれまで何度も伸子の堪えがたさは燃えて憤りにかわって行ったのだった。
伸子の心の中のこういう一切のうねりにかかわりなく、ナターシャは今は廊下を歩くようになった患者としての伸子を見、車附椅子に用のなくなった退院間ぢかな一人の患者として伸子に接し、彼女自身はますます雄大なおなかの丸さになって来た。ちぢれた髪にふちどられた精力的な彼女の容貌の上で、頬っぺたのはたん[#「はたん」に傍点]杏色はいっそう濃くなった。
「ナターシャ、あなたいつから休暇をとるの?」
「もう十六日あとに」
「それじゃ、わたしはのこされるでしょうね、たぶん」
伸子の退院はもう時間の問題だった。けれどもそれが三月のうちにできることか、来月にかかってのことになるか、伸子は知っていなかった。フロムゴリド教授の回診のとき伸子は、外国の温泉行きの話を出しかけたばかりだった。日本にいる家族がフランスへ来る。自分はどこかの温泉へ行って暫く休養した上でフランスで家族に会って来たい。伸子がそう言ったら鼻眼鏡をきらめかせ、鼻にかかった幾分甲高い声でフロムゴリド教授は、
「それはすばらしい!」
と、診察用の椅子にかけている白い上っぱりの上体を前へかがめるようにした。しかし、まだ話はそれぎりのことだった。
ナターシャが、一日一日と近づ
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