ェし歩いて来られたんで恐縮しました。よほど御心痛の様子でしたよ。くりかえして、私の目で見たあなたの様子をそのまま知らしてくれ、と云って居られました。ことのいきさつをそう説明されて、伸子として礼をいうよりほかにどうしようがあるだろう。
 伸子は病気の経過をずっと話した。いや。お目にかかるまでは、どんなに憔悴《しょうすい》しておられるかと思っていたんですが、この様子ならばもう大丈夫です。ひとつ、御安心なさるようによくかきましょう。四十をいくつか越して見える藤原威夫というその少佐は、若いときからかぶっている軍帽でむされて髪の毛がうすくなったのが五分刈の下からもわかる顱頂《ろちょう》部をもっていて、その薄はげと冴えない顔色とはかえって頭脳の微細な勤勉と冷静な性格を印象づけた。伸子たちが来た頃からモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]には木部中佐というアッタッシェがいた。その人の年中よっぱらっているような豪放|磊落《らいらく》らしい風と、きょう伸子の前に現れた藤原という少佐の人がらはひとめ見て対蹠《たいしょ》的であり、普通そうであるように、もとからのひとと新しいアッタッシェの交代が行われず、これからはこの、いかにも互に相補うといった性格の二人がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に駐在するのだそうだった。東支鉄道の問題、漁業権の問題でこのごろ日ソ国境に関心がたかまっている。そのことが浮んで、伸子にも新しく藤原威夫が加えられて来た意味が察しられるのだった。伸子にさえあらましはその任務の性質が察しられる陸軍少佐が、不思議な御縁で[#「不思議な御縁で」に傍点]佐々の家にとっては内輪のもののように多計代からたのまれて、伸子の前に出現した。家族に一人も軍人というもののない家庭に育ったせいと、関東地方の大震災のとき憲兵大尉の甘粕が、大杉栄と妻の伊藤野枝と甥の六つばかりの男の子をアナーキストの一族だというのでくびり殺して憲兵隊の古井戸へすてたことがあり、伸子はある場所で、その男の子の母親にあたる若い女の人が声を忍ばして泣く姿を見た。伸子の軍人ぎらいは骨にしみたものになっているのだった。
 伸子がこわく思うような粗剛なこわらしさは、藤原威夫のどこにもなく、この少佐は全体がはっきりしない色合で静かに乾いた感じだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]生活についてのあれこ
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