る。並木道《ブリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ール》の入口にコップ一杯五カペイキの向日葵の種やリンゴ、タバコを売っている屋台店《キオスク》があり、一軒の屋台店では腸詰だのクワスだのを売っていた。その屋台店の主人は顔の黒い韃靼《だったん》人で、通りがかった伸子をきつい白眼がちの眼でじろりと見て、壺から真黄い粟のカーシャをたべていた。雪の白さに、韃靼人の顔の黒さはしんから黒く、粟の黄色さは目のさめる黄色だった。色彩のそんな動きも、絵か音楽のように伸子の心にはいった。
風景に情趣こまやかなのはストラスナーヤから左の並木道で、同じ並木道でも右側にのびた方はいつも寂しく、子供たちも滅多に遊んでいなかった。遠くに古い教会の尖塔が見える雪並木の間を、皮外套に鳥打帽子の人たちが、鞄をかかえ、いそがしそうに歩いていた。道を歩いているというよりも用事から用事へいそいでいるようなその歩きつき。ぐっと胴でしめつけられた皮外套の着かたや、全神経が或る一点に集注されていて、ものが目に入って来ない眼つき。そういう視線が無反応に自分の上を掠めるのを感じながら、こちらからは一つずつ一つずつそういう顔を眺めて並木道を歩いてゆく心持。伸子にはそれも興味ふかかった。
トゥウェルスカヤ通りをアホートヌイ・リャードまで下り切ると食糧市場へ出た。切符制で乳製品や茶、砂糖、野菜その他を売る協同販売所が並んでいる。その歩道をはさんだ向い側に、ずらりと、ありとあらゆる種類の食品の露店が出ていた。半身まるのままの豚がある。ひろげた両脚の間にバケツをはさんで、漬汁がザクザクに凍った塩漬胡瓜を売っている。乳製品のうす黄色い大きなかたまりがある。蝶鮫《ちょうざめ》がある。リンゴ、みかんもある。卵をかごに入れて、群集の間を歩きながら売っているのは、大抵年をとった女だった。つぶした鶏を売っている爺がある。絶えず流れる人群れに交って、伸子のすぐ前を、一人の年よりが歩いていた。脚立《きゃたつ》をたてて、その上へ板を一枚のせて、肉売りがいる。その前へ、年よりがとまった。
「とっさん、素晴らしい肉だぜ。ボールシチにもってこいだ!」
それはいい肉と云えるのだろうか。伸子の目に、その塊りは黒くて、何の肉だか正体がしれなかった。黙ったままじいさんは、よごれた指を出してちょいとその肉をつついて見た。
「え《ヌ》? どうだね《カーク
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