ナあることが、伸子にゴーゴリの悪漢を思わせた。でも、もし、あの小僧があれだけ伸子たちをつけまわしたのに、今夜じゅうに何もとれなかったとしたらどうだったろう。それを思うと、伸子は、はじめて真面目なこわさを感じた。ピオニェール小僧が徒党をもっていることはストラスナーヤと云ったことで察しられるし、そこには、彼の大人の親方がいたのかもしれない。スーモチカをくれてやって、よかったと伸子は思った。少くとも、ピオニェール小僧は親方にさし出す獲物として、いくらかの金と、金側時計と古くても皮のスーモチカがあった。それは彼を死もの狂いにすることから救った。それは、伸子の安全を買ったことなのだった。
 パッサージのドアをあけ、去年伸子たちがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に着いたときからそこに置かれていた棕櫚《しゅろ》の植木鉢のかげから、下足番のノーソフの大きな髭があらわれたら伸子は急に体じゅうが軟かくなってしまった。半分は意識して、半分は無意識のうちに一晩中ピオニェール小僧と心理的な格闘をしていた。それがもうすんだ安心だった。
 椅子にちょこなんと腰かけて防寒靴をぬぎながら、伸子は、今宵《こよい》の出来ごとをかいつまんでノーソフに話した。
「あの小僧が――そりゃ、そりゃ」
 ノーソフは、頭をふった。
「わしは、あなたがたといっしょに小僧が入って来たのを見ましたよ。だが、あなたがたといっしょだったもんだからね、知り合いの子でもあるかと思ったです。――カントーラ(帳場)に話しなさるこったよ」
 ノーソフと話しているうちに、伸子の眼の中と唇の上に奇妙に輝きながらゆがんだ微笑がうかんだ。トゥウェルスカヤの大通りからアホートヌイへ出るところで伸子が足をすべらし、そのはずみに何気なく伸子のスーモチカがピオニェール小僧の手にわたった。そのとき、ピオニェール小僧は、伸子の小型で古びたスーモチカを脇の下にしっかり挾み、伸子の腕を支えて歩き出しながら、手袋をはめている伸子の手をとりあげ、寒さで赤くなっている自分のむき出しの両手の間にはさんで音たかく接吻の真似をした。伸子は、馬鹿馬鹿しいというように手をひっこめた。
 ノーソフと話しながら伸子はその情景を思い出した。あのときどんなにピオニェール小僧はほっとしたんだろう。先ずこれでせしめた。そう思ったはずみに、ピオニェール小僧は思わず伸子の手へ接吻
前へ 次へ
全873ページ中292ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング