買Fト生活へうちこまれた自分しか感じられずにいる伸子にとって、そういう事態にまきこまれるような場面に自分をおくことはあんまり本心にたがった。
それには素子も同じ意見で、熱心に自分のきもちを話す伸子を半ばからかいながら、
「わかってるじゃないか。そんなにむきにならなくたって」
と云った。
「しかし、ソヴェトもなかなかだなあ。アニュータはその男がコーヒーをのむ(ピヨット)というところを、わざわざプリニマーエットと云ったよ。特別丁寧に云ったわけなんだ。ナルコム(人民委員)はただ飲むんじゃなくて――召しあがるというわけか」
プリニマーチという動詞を、伸子は薬なんかを服用する[#「服用する」に傍点]というとき使う言葉としてしかしらなかった。
その日も一日雪だった。伸子たちがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ着いて間もなかった去年の季節の風景そのまま、来年の春まで街々をうずめて根雪となるこまかい雪が間断なく降りつづけた。
正餐のとき、それまでどこにも姿を見せなかった細君が不承不承な様子で寝室から出て来た。そして、テーブルにつき、
「いやな天気ですね」
おちつかない視線を伸子たちからそらして台所の方を見ながら、両手をこすり合わした。素子が平静な声で、
「特別でもないでしょう」
と云った。
そのアストージェンカ一番地の大きいアパートメントには、中央煖房の設備があって、各クワルティーラは台所まで居心地よい温度にあたためられているのだった。
細君は、すこし乱れた褐色の髪の下にエメラルドの耳飾りを見せながら、スープをのんだきりだった。両肱をテーブルの上について、時々指でこめかみをもみながら、二番目の肉の皿にも乾果物の砂糖煮にも手をつけなかった。ソコーリスキーは正餐にかえって来ず、伸子たちの出たあとの部屋へ来た人物同様、いつ帰っていつ出てゆくのかわからなかった。
翌日、正餐のときも細君は寝室にとじこもったきりだった。アニュータの給仕で二人だけの食事を終って、伸子は食堂の窓からアストージェンカの雪ふりの通りの景色を眺めようとした。寝室のドアがすこしあいていて、更紗《さらさ》模様の部屋着を着た細君がだるそうな様子で、子供寝台の上に立っている女の子に白エナメルの便器をとってやるところが、ドアのすき間から見えた。ちらりと隙間洩れに見えた寝室の様子にも、伸子たちのいる子供
前へ
次へ
全873ページ中280ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング