「いんです。あとは、どうせ体で説明するんですからね」
「なるほどね」
 その晩は吉之助にも約束がなくて例外のゆっくりした夜だった。三人はテーブルをかこんでモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の書生ぐらしらしくイクラや胡瓜《きゅうり》で夜食をした。吉之助は、しんからそういう単純な友人同士の雰囲気をたのしく感じるらしく、
「こんなにしていると、日本にある自分たちの暮しかたが信じられないほどです」
と云った。
「外国へ出て見るとほんとにわかるんですねえ」
「ふるさがですか?」
「あんまり別世界だってことですね」
 吉之助は、レモンの入ったいい匂いの熱い紅茶をのみながら、若い顔の上に白眼の目立つような目つきでしばらくだまっていたが、
「伝統的なのは舞台ばかりじゃないんですからね、歌舞伎の俳優の私生活の隅々までがそれでいっぱいなんだ……」
 ため息をつくようにした。
「かえられませんか」
 伸子は、思わずそういう素子の顔を見た。素子は、伸子が見たのを知りながら、吉之助の上においている視線を動かさなかった。
「むずかしいですね」
 これまでにもう幾度か考えぬいたことの結論という風に吉之助は云った。
「自分一人、そこから、ぬけてしまうならともかくですが、あの中にいて何とか変えようったって、それはできるこっちゃありません」
「かりに、あなたがそこをぬけるとしたら、どういうことになるんです」
 素子が何気なくたたみかけてゆく問いのなかに、伸子は、自分だけしか知らない素子の吉之助への感情の脈うちを感じるように思った。かたわらで問答をきいていて伸子の動悸が速まった。
「そこなんですね、問題は」
 テーブルにぐっと肱をかけ、吉之助はまじめなむしろ沈痛な声で言った。
「まず周囲が承知しませんね」
「周囲って――細君ですか」
「細君も不承知にきまってるでしょうが、親戚がね。歌舞伎の世界では、親戚関係っていうのが実に大したものなんです――義理もあるし」
 吉之助は、歌舞伎俳優だった父親に少年時代に死なれ、その伝統的な家柄のために大先輩である親戚から永年庇護される立場におかれて来ているのだった。
「もう一つ自分として問題があるわけなんです。僕には舞台はすてられない。これだけはどうあっても動かせません。俳優としての技術の蓄積ということもあります。ただ、やめちまうというなら簡単でしょうがね。自
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