リの下からかけ出して来て、アイスクリーム屋の前へ行った。
ヴェランダから見ていると、そのあたりの光景は絶えず動いていて、淡泊で、日曜日の森に集っている健康さそのもののとおりに単純だった。雰囲気にはかわゆさがあった。その雰囲気に誘いこまれ、心をまかせていた伸子は、やがて蒼ざめ、痛さにたえがたいところがあるように椅子の上で胸をおさえた。伸子は思い出したのだった。保の笑っていたときの様子を。愉快なとき保は両手で膝をたたいて大笑いした。にこ毛のかげのある上唇の下から、きっちりつまって生えている真白い歯が輝やいて、しんからおかしそうに笑っていた保。――その保は死んだ。もういない。
ヴェランダから見ている伸子の視界に出て来たり、見えなくなったりしている若ものたちは大抵、十七八から二十ぐらいの青年や娘たちだった。この若い人たちの生は、何とその人たちに確認されているだろう。
伸子は公園のぐるりの光景から目をはなすことができずに、そのヴェランダの椅子にかけていた。そこに動いている若さには若い人たちの生きている社会そのものの若さが底潮のように渦巻いているのが感じられて、デーツコエ・セローの日曜日は、たのしげなガルモーシュカの音を近く遠く吹きよこす風にも、保が偲ばれた。
動坂の家のひとたちは、伸子と保とがどんなに一枚の楯の裏と表のようなこころの繋りをもって生きていたものであったかということについて、考えてみようともしていないであろう。或は多計代だけは考えているかもしれない。伸子のような姉がいるから、保はなお更思いつめずにはいられなかったのだ、と。誰か人があって、伸子に向い、同じことを言ってなじったとしたら、伸子はひとこともそれについて弁明しようと思わなかった。たしかにそれも事実の一つであろう。だけれども、それだけが現実のすべてだろうか。伸子が保に影響したというよりも、伸子は伸子らしく、それに対して保は保らしく反応せずにいられない今という時代の激しい動きがあるのだ。たとえば三・一五とよばれる事件で大学生が多数検挙されている。生れながらの調停派とあだ名されながらその恥辱の意味さえ彼の実感にはのみこめないような保が、保なりに、保流に、それについていろいろ考えなかったとどうして言えよう。保は、その一つのことについてさえも彼らしく各種の矛盾を発見し、そこに絶対の正しさ[#「絶対の正しさ」に
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