ニまらなくなった。てすりにつかまって一段一段のぼって行きながら、伸子ははげしく泣き出した。泣きながら階段をのぼりつづけ、のぼりつづけて泣きながら、てすりにつかまっていない左手をこぶし[#「こぶし」に傍点]に握って伸子は身をもだえるように幾度もいくたびも空をうった。何てことをしたんだろう。保のばか。保のばか。とりかえしのつかない可哀そうさ。くちおしさ。――よろよろしながら伸子は自分の室へ行く廊下を異常な早足で進んだ。もうじき室のドアというところで、伸子は不意に白と黒との市松模様の廊下の床が、自分の体ごとふわーともち上って、急に下るのを感じた。
伸子にはっきり思い出せるのは、そこまでであった。それからどういう風にして自分がベッドへつれこまれたのだったか、素子が涙に濡れた顔をさしよせてしきりに自分の肩へかけものをかけてくれたのや、夜だったのか昼間だったのかわからないいつだったかに、素子が、ぐらぐらして体のきまらない伸子をベッドの上にかかえおこし、伸子の顔を自分の胸にもたせかけて、
「駄目じゃないか! ぶこ! どうするんだ、こんなこって! さ、これをのんで……」
スープをひとさじ無理やりのまされたことなどを、きれぎれに思い出せるだけだった。それからもう一つ、自分がしつこくくりかえして、よくって? わたしは帰ったりしないことよ。よくって? と云ったことと、そのたんびに素子が、ああいいよ、わかってる、わかってる。と力を入れて返事して涙をこぼしたことなどを思い出すことが出来た。
夢とうつつの間で伸子はまる二日臥ていた。どの位のときが経ったのかそんなことを考えてみる気もおこらないほど長い昼寝からさめたような気分で、伸子は三日目のひるごろ、ほんとに目をさまして自分の周囲をみた。
伸子が目をさましたとき、その狭い室のなかには臥ている伸子のほかに誰もいなかった。明るい静かな光線が小さい室の白い壁いっぱいにさしていた。テーブルの上のコップに、紫苑《しおん》の花のような野菊と、狐のしっぽのような雑草とがさしてある。コップにさしてある雑草はあの日に、遠い野原で伸子が自分でつんだものだった。すべてのことが、はっきり伸子に思い出されて来た。八ガツ一ヒタモツドゾウチカシツニテシス。――保は死んでしまった。波のようなふるえがシーツにくるまって臥ている伸子の下腹から全身に立った。八ガツ一ヒ。
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