鰍ノいたとして、泰造はやっぱりこうして新聞をよこすだろうか。娘がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいるということだけで、泰造はその新聞記事から普通でない衝動をうけたのだ。どう表現していいか泰造自身にもわからなかったのだろうけれども、赤インクのかぎ[#「かぎ」に傍点]は、泰造の受けた衝撃の感情の性質を語っていることが伸子を悲しくさせた。
去年の秋、伸子たちがソヴェトへ来るときめたとき、そして旅券のことについて動坂の家へ行ったとき、母の多計代は「ロ・シ・アへ?」と、ひとことひとこと、ひっぱって云って、いやな顔をした。半年近くたったこの間、伸子がそこまでよんで先がよめなくなった多計代の手紙には、「冷酷なあなたの心は、ロシアへ行ってから」とかかれていた。父の泰造は、旅券のことで助力をたのみに行ったときも、伸子がともかく自分の力で借金ができて、外国へも行くようになったことをよろこんで、行くさきについて意見は洩さなかった。その後の泰造の簡単なたよりにも、ロシアというものへの先入観や偏見はちっともあらわされていなかった。
ところが、こうして、日本にも世界のよその国と同じようにいつの間にか共産党が出来ていて、それがわかった、と大臣や役人があわてて右往左往している様子のわかる新聞記事が出たら、泰造の心の安定はたちまち動揺した。程度のちがいこそあれ多計代と同じような性質で、ロシアというところ、そこにいる伸子というものについて普通でない心の作用をあらわしている。
伸子には、無条件で父を肯定する習慣があった。母の多計代はどうであっても、父の泰造は、と思う習慣があった。その習慣的な父への安心が、伸子の心の中ではげしく揺られた。父と母とは、生れ合わせにもっている気質がちがって、そのちがいは永い年月が経つ間に双方からつよめられ、その間で育った娘の伸子には、父と母とがものの考えかたや感じかたで全くちがうように思えていた。けれども、いま伸子は、父と母との気質のそのちがいを実際よりも誇張して感じていたのは、自分の甘えだったとさとる心持になった。父と母とは、夫婦だったのだ。いざというところでは、いつも一致した利害を守って生きて来た夫婦だったのだ。伸子が、自分の都合のいいように誇張してそれに甘えて来たような本質のちがいが、両親のものの考えかたにあるという方が変だったのだ。
四月の末モス
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