サ在ソヴェトの若い人たちが、あんなに嬉々として春の光を追っかけて互に写真をとりあっていることは、決してただ田舎っぽいもの珍しさだけではなかった。
 伸子は、あんな小憎らしい日本の言葉が、まわりの人たちにわからなかったことをすまなくも、またたすかったとも思った。
 これまでの社会で写真というものは、ただそれを写すとか写さないとかいうだけのものではなかったのだ。伸子ははじめて、その事実を知った。写真をうつすということが、金のかかることである時代、何かというと写真をうつす人々は、それだけ金があり自分たちを記念したり残したりする方法を知っている人たちであり、写真を眺めて、その愉快や愛を反復して永く存在させる手段をもった人々であった。写真というものがロシアのあの時代に、そういう性質のものでなかったのなら、ゴーリキイのロマンティックで野生な人間性のむき出された少年時代のスナップが、誰かによって撮られなかったということはなかったろう。チェホフの子供時代にしろ、小父さんのとった一二枚の写真はあり得ただろう。
 ソヴェトの若い人たちが、写真器をほしがり、一枚でも自分たちの写真をほしがっているのは、伸子が浅はかに思ったような田舎っぽい物珍しがりではなかった。金もちや権力からその存在を無視され、自分からも自分の存在について全く受け身でなげやりだった昔のロシアの貧しい人民《ナロード》は、自分の生活を写してとっておく意味も興味も、思いつきさえも持っていなかったのだろう。写真なんかというものは金のある連中のたのしみごととして。ソヴェト生活のきょう、その人民が写真ずきだということは、その人たちにとって生存のよろこびがあり、日々の活動の場面が多様で変化にとんで居り、生き甲斐を感じているからこそにちがいなかった。写真がすきということのかげに、幾百千万の存在が、めいめいの存在意義を自覚して生きて居り、同時に社会がそれを承認しているということを語っていると思われるのだった。
 こういう点にふれて来ると、伸子は、自分がどんなに写真というものについてひねくれた感情をもっているかと思わずにいられなかった。そして、ヨーロッパ見物の日本人について云われる皮肉と、ソヴェトの写真ばやりとを、同じ田舎くささのように思ったひとりよがりにも、胸をつかれた。
 伸子は、子供のときから、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−8
前へ 次へ
全873ページ中148ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング