ョりが、決してひな鳥のむしやき一皿にだけ向けられていたのではないことを諒解した。そういう御馳走。葡萄《ぶどう》酒の酔い。屈託のない男たちの談笑。小説もよみ外国雑誌の絵も見ている多計代は、そういう情景のなかに、細腰を蜂のようにしめあげて、華美な泡のようにひろがるスカートをひいた金髪の女たちの、故国にある家庭などを男に忘れさせている嬌声をきいたのだろう。
「漱石だって、かいたものでよめば、外国暮しでは、別な意味で随分両方苦しんでいるわね。奥さんにしろ」
自分がいま保にかいたばかりの手紙を思い、その文面にものぞき出ているような動坂の家の生活とここの自分の生活との間にある裂けめの深さを伸子は、計るようなまなざしになった。
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に暮しているものとしての伸子の心へ、角度を新しくして映る日本の生活一般、または動坂の暮しぶりに対して、自分の云い分を伸子は割合はっきりつかむことが出来た。しかし、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる伸子のそういう云い分に対して、佐々のうちのものや友人たちが、変らないそれぞれの環境のなかにあって、どういううけとりかたをするか。そのことについて、伸子はほとんど顧慮していなかった。
伸子は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の時々刻々を愛し、沸騰し停滞することをしらない生活の感銘一つ一つを貪慾に自分の収穫としてうけいれていた。伸子がウメ子のような友人にかくハガキの文体でも、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てからは少しずつかわっていた。伸子としてはそれが自然そうなって来ているために心づかなかった。――わたしの住んでいるホテル・パッサージの壁紙もない室の窓は、トゥウェルスカヤ通りに面しています。そう書けば、伸子は、その窓の下に見えていて骸骨《がいこつ》のような鉄骨の穴から降る雪が消えこむ大屋根の廃墟の印象をかかずにいられないし、その廃墟をかけば、つい横丁を一つへだてただけで中央郵便局の大工事がアーク燈の光にてらされて昼夜兼行の活動をつづけていることについて、沈黙がまもれなかった。この都会の強烈な壊滅と建設の対照は伸子の情感をゆすってやまなかった。伸子は、厳冬のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の蒼い月光が、ひとつ光の下に照したこの著しい対照のうちにおのずから語られてい
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