gいみちのない、女二人の味気なさとして。ねる《セ・クーシェ》、というひとことに、いつも男と女の複雑なニュアンスをこめてにおわせることが、パリ風な気分として通用しているのだから。
伸子の生活の現実には、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のホテルの特色がうけいれられているという事実を、どうできよう。きょうの日曜日、朝から素子の歯痛でかけまわったあげく、やっと病人も伸子もくつろいで、一方はまどろんでいるところ。伸子はこうやって三階の露台から隣りの塀の中の人気ないプラタナスの繁みと、麦藁屋根の東屋《あずまや》と孤児院らしい建物を眺めているとき、さまざまの往来が心に湧きおこって、伸子はホテルのその室に、鏡つきでない仕事机さえあったらと思っている。それは伸子の実感なのだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のホテル・パッサージの、一日じゅう日光のささない小部屋でも、仕事机とその上に電気スタンドは備えつけられていた。ホテルが、先ず仕事をもっている人間の住む必要を基礎にして設備され、寝台の快適さはその上でのこととされているのは、伸子には、あたりまえで単純な人間らしいものわかりのよさ、として、うけとられているのだった。子供は保護されるべきものであり、人間が働いて生きるからには、より仕合わせな勤労にならなければならないという事実と全くおなじに。生活のそのように単純で、わかりやすく、そうにちがいないことを、それがそうであるべきように実現しようとして居り、ある部分では実現されつつあるということで、ソヴェトの社会が、ぐるりから絶え間もなく蒙っている邪魔や誹謗や意地わるはどうだろう!
ピカソの勇気、ということが驚異をもって云われている。でも彼は、新しいものをさがしているときなぜアフリカ土人の作った原始的な木偶《でく》へかえったのだろう。それから、現実をバラバラにして置く図解へ。――人間は歴史の前進において、未開の克服において新しさを創り出しているのに。同じ国の文学の世界では、数こそ少ないけれども優秀な数人の人たちが、歴史の上にあらわれた人間の新しい現実を現実としてうけいれ、そこに粗野なものと同時に人間にとってよりよいものを発見しはじめているとき、絵画が、ピカソの最も果敢な精神においてさえ、未開にひかれ、現実の分解図解の方向にばかり向けられている。その角度が、一九一八年
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