潟c塔g、ブーニンその他の亡命作家がいた。もとの大公だの貴族だのと云われるグループとこれらの亡命文学者たちのして来たことは、ソヴェトの新しい社会建設への誹謗と、しつこい反革命運動しかなかった。自分からすてた故郷に対してたちきることのできない執着を、現実にたった理解へ高めるかわりに、これらの人々はあらゆる熱情や条理を失った猜疑や怨み憎みに表現していた。そういう発言は、パリを中心にますます盛に活動しはじめている各国のソヴェト同盟への侵略計画、ソヴェト社会を崩壊させようという意図へのうってつけのたきつけとなっているのだった。一昨年の秋、革命十週年記念日のために、国賓として招待されたが、来られなかったロマン・ロランはモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]夕刊へ挨拶を送った。ロマン・ロランのこのソヴェト承認はパリの亡命作家やソヴェトに悪感情をもっている知識人たちを逆上させ、ブーニンとバリモントの署名によるロマン・ロランへの抗議が発表された。それに答えたロランの詳細な手紙が翻訳されてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の「文学新聞」へのせられていたのを、伸子は翌年になってから長いことかかって読んだ。ロマン・ロランはその手紙の中で何と懇切に、しかし確乎と云っていたろう。「あなたがたは、何物をも知ろうと欲しないし、またこの新社会については何も見ようとしていない。あなたがたは、あなたがたが包囲されている環境の中では、そうすることができない」そして、具体的な実例でソヴェトの社会にすべての文化が成長していることを説明していた。文学においては「若い作家たちは輩出し、彼らは以前よりも多く、フランスにおいて出版されるよりも遙に多く出版され、読まれている」伸子は、ロマン・ロランのその文章で、デュアメルがソヴェト訪問をしたことも知ったのだった。そして、デュアメルがソヴェトの子供や青年たちの明るい生活の姿に心をうたれたと語ったということも。高踏的な詩人だと思っていたデュアメルが、心をうたれたのが、ソヴェトの子供や青年の生活であったということは、伸子にデュアメルという詩人への親しさを感じさせた。
 伸子がそうして黙りこんでいるうちに、もう一度、その新聞の人がホテルへよって名刺を置いて行った。やっぱり伸子たちが外出していた間のことだった。伸子と素子とは、帰って来てうけとったその名刺を両方か
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