トいた。このパリでの極端なつき合いのせまさが、きょうのようなときに途方にくれる状態をひきおこしているとも云える。伸子はちょくちょく素子の額にさわってみた。
「熱がでていないから、化膿性のものじゃないことだけはたしかよ――大丈夫だわ、――でも、痛い?」
「きまってるじゃないか、ばかだなあ」
 素子は、痛さに気をとられていて、そのことに思い及ばないらしかったが、伸子の心には自分の気持についての不安があった。パリにいる日本の人たちとの社交的なつき合いを意識的にさけているのには、伸子の意見がつよく影響していることであったから。――
 ガリック・ホテルへ移って間もない或る日のことだった。外出から帰って来た伸子たちは、帳場で室の鍵といっしょに一枚の名刺をわたされた。それは、もう数年間パリに生活しているある新聞社のパリ特派員の名刺だった。この人によってその新聞の文芸欄に折々パリの文壇、画壇、楽壇の消息がのせられるのを伸子は日本にいたころから読んでいた。パリに滞在している年月が長い上に、その人に特有の気質が加ってか、彼のパリ通信は、多くの場合、ただの報道ではなかった。フランスの著名な芸術家たち、パリへ行っている日本の知名人たちとの交遊の雰囲気、友達づきあいの空気がただよう通信だった。その特徴から、いつとはなし伸子は、その人の名や特徴を記憶するようにもなっていたのだった。
 帳場でわたされた名刺には、あっさりと、訪問の主旨が一行に書きつけられていた。その年は、最近の数年間に最も多く日本の作家たちがパリで落ちあったと云われているときだった。伸子がその金を旅費にして先ずモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来たと同じ文明社の大規模な文学全集からの収入が、日本の作家の何人かを夫婦づれで、または友達づれで、その夏のパリに来させているのだった。
 もし電話をかけるならば、そのパリ特派員の名刺には、電話番号もちゃんと刷られてある。だが、伸子は、その名刺を、ホテルの室の化粧台の上においたまま日をすごした。その人に会うことから、いつとはなしひろがってゆくいわゆるコスモポリタン風な、そして、それがパリ風だと思われている文壇的社交的なつき合いを伸子は避けたい気持があった。日本にいてさえ伸子にとってなじみにくいものだった文壇というところのつき合いが、パリにおける日本人という面から単純にされようとも
前へ 次へ
全873ページ中838ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング