オて来た。だけれどパリには、パリの男の鳥打帽と同じ意味の女の黒い服もある。――彼らが利子生活者ではなくて、日々の労働で生きているものであることを示す男女の身なりとして。
 一九二九年の三月から以後フランスでは生計費があがって、物価のやすい、暮しいいパリでなくなった。
「肉類や玉子、バタのようなもの、お豆やじゃがいもなんかが随分、ここのところであがりましたわ、ね」
 磯崎須美子が、若い良人に賛成を求めるように、おだやかないつもの云いかたで云うのだった。
「わたしたちには不思議に思えますけれど――小麦なんか、かえってことしはやすくなっているっていうんですのにパンもあがって――。ここでとれるものの方が高くなりましたのよ」
「われわれみたいな、貧乏画描きにはどうして、こたえますよ。家族というものがありますしね」
 恭介たちはこんどの子供が生れたについては、四つになる上の子を、デュトの家のマダムの世話でフォンテンブローの近所の田舎家にあずけているのだった。須美子の、日本人ばなれのした輪廓の端正な若い顔の上を無言の苦しげなかげがすぎた。
「――でもこの節は、どこもですわ。マダムでさえこぼしますもの」
 恭介たちの家の主婦は親切な寡婦で、二人の息子は郊外の工場へつとめているのだった。
 数年このかたフランスはアメリカについで、ヨーロッパでは金保有量の最も多い国として、景気が安定し、ドイツのような失業はないし、ストライキもなかったのだそうだった。いまでも労働力は不足していて、ポーランドやベルギーから労働者をよんで来ているぐらいだけれども、労働賃銀が、暮しよいパリ[#「暮しよいパリ」に傍点]時代のままだから、物価が世界のよその国なみにあがって来てしまうと、パリの市民の大部分は、ますます肉類ぬきの食物で生きてゆかなければならなくなって来ているのだった。
「ここでも、このごろは労働者の男や女が、賃銀値上げの要求を書いた札を立てて示威行進《デモンストラシオン》するようになりましたよ」
「そうお?」
 伸子は、自分たちをあやしむように、
「どうしてだか、わたしたち、まだいっぺんもそういうデモンストラシオンに出会ったことがなくてよ」
と云った。
「そりゃそうでしょう」
 おかしそうに恭介が笑った。
「労働者たちのデモンストラシオンは、滅多にブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ールなんかま
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