Oラードでの五月のある朝、そうすることに伸子が、自分のまごころを現わせたのは、その小説が、ゴーリキイの文学にはない日本の社会の現実の一面を描いているからだった。その社会の中に生きる日本の女の、よりよく生きようとするはげしい願望の物語だからこそだった。そして、日本の社会や日本の家というものの重圧から、解かれて成長しようと欲する女の願いのはげしさこそ、こんにちのソヴェト社会の建設につながる一本の道に立つものであることを、伸子はふかく信じて疑わなかったからこそ、ゴーリキイが自分では決してよむことのない日本文の小説を、伸子は彼に献呈したのだった。
長い将来の年月にわたって――伸子は、紙の上につよく三角形をかいた――文字でかかれた報告から小説をかく自分――伸子は、紙の上の三角形から三方に長い線をひっぱった。――そんなことができるとはどう考えても思えない。あり得ない生活。仕事なんか、いくらでもある。そう山上元は云った。仕事はいくらでもある。――それはそうにちがいなかった。現にこうして、ネチャエフの法廷記録を訳すことだって、伸子のする仕事の一つであるのだから。
伸子は手をのばして、デスクのむこう隅においてある小説新聞をとった。イレッシュの小説特輯だった。イレッシュの代表的作品と紹介されているこの小説は、イレッシュが故国のハンガリーで書いたものだった。この事実のなかに、伸子の執拗なわからなさをひきつける何かの暗示がある。
伸子は、ソヴェトに来た翌年の夏、レーニングラードにいたとき、九十枚ばかりの小説をかいた。ソヴェトの生活に取材して、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のアストージェンカに暮していた期間の印象や、レーニングラードの下宿《パンシオン》生活をはじめてからの見聞を組立てた作品だった。
伸子は、あのころ、ほんとうに階級というものの歴史を理解していなかった。それぞれの国の革命の過程というものも理解していなかった。
あれから満一年たって、ベルリンやロンドンの生活からモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の社会を観てふたたびモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰って来たいまの伸子には、かえって小説が書きにくくなっている。伸子は、もうおととしの夏のように、自分の目の前に過ぎてゆく生活風景のいくこまかを、そのまま、切りとった小説はかけなかった。階級社
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