゚るのだろう。「戦旗」にのっているベルリン通信のような、階級的な角度のつよい文章が自分にかけるとも伸子に思えないのだった。伸子は笑いながら、
「わたしの書いたものなんか、これまでおよみになったことないでしょう」
と云った。
「書かせてみたら、こんなもの、じゃ、わるいと思います」
「いや読んだよ」
小さいけれども角ばっていて強情そうな年よりの顎をつき出すようにして、山上は、例の三白眼で伸子を見た。
「何だっけ、――こっちへ来てから、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のことを書いているのを、何かで読んだよ」
「――『文明』に出ていたんでしょうか」
「そうだ、そうだ。――結構おもしろかったよ」
伸子は、体がぽっとあつくなった。山上がよんだというモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]印象記は、伸子がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来て最初に書いたものだった。あのころから二年以上たって、しかも現在のソヴェト生活にくらべると、伸子の印象記は、ロシアの民族性という興味にひっかかりすぎていた。そして、伸子が現在理解しているよりも一層未熟にしか、階級の問題をとらえていなかった。
しかし、山上は、その印象記については、それをよんだ、という事実以外に、こまかいことは記憶していない風だった。おおまかに、
「あんなのだって、送ってやればいい」
と云った。
「太陽のない街」が、ドイツ語からロシア語に翻訳されるということだった。「一九二八年三月十五日」も近々ロシア語になるということだった。
「いまに、日本のプロレタリア文学の作品はどしどし翻訳されるようになるよ、東洋語学校の日本語科の卒業生が急速にふえているからね」
山上元は、しばらく言葉をきって、伸子の存在をもこめて前方の壁を見ていたが、
「どれ、またジャムを御馳走しようか。この間のは、うまかったろう?」
椅子を立って、ベッドの裾のついたての蔭にはいった。そして、間もなく、全くこの前のとおりの、無骨なくせに、何でもできる手つきで両手に茶のコップをもって現れた。とりつくろわないそのかっこう[#「かっこう」に傍点]に伸子はつよい親愛感をもった。若い女が、ふとしたときに老人に対して抱く暖かい好感が伸子の胸をみたした。伸子は、その室の隅にとりつけられている二人がけの小長椅子にかけたまま、この前のように遠慮せず、両
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