オたり、泰造の古美術ごのみで統一されたりしていたら、動坂の家というところはどんなに厭な、人間の自由に伸びるすきのない家になっただろう。伸子は、動坂の家に、せめてもそういう乱脈があることをよろこんだ。少女時代を思い出すと、そういうよそからは想像も出来ないようなすき間が動坂の家にあったからこそ伸子は、いつかその間にこぼれて伸びることもできた野生の芽として自分の少女時代を思い出すことができた。
 伸子が十四五になって、自分の部屋がほしくなったとき、伸子はひとりで、玄関わきの五畳の茶室風の室がものおき同然になっていたのを片づけた。そしてそこに押しこんであった古い机を、小松の根に蕗《ふき》の薹《とう》の生える小庭に向ってすえた。そして、物置戸棚につみあげてある古本の山のなかから、勝手にとじのきれかかった水沫集だのはんぱものの紅葉全集だの国民文庫だのを見つけて来て、自分の本箱をこしらえた。その中で、ほんとに伸子のものとして買ってもらった本と云えばたった二冊、ポケット型のポーの小説集があるばかりだった。
 すきだらけと乱脈とは、いまも動坂の家風の一つとしてのこっている。年月がたつうちに経済にゆとりが出来てきただけ、その乱脈やすきだらけが、むかしの無邪気さを失って、家族のめいめいのてんでんばらばらな感情や、物質の浪費としてあらわれて来ている。伸子は数千キロもはなれているモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の、雪のつもった冬の夜の長椅子から、確信をもって断言することが出来た。伸子がこのホテルのテーブルの上で、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]人がみんなそれをつかっている紫インクで、エハガキや時には手紙でかいてやる音信は、先ず多計代に封をきられ、いあわせたものたちに一通りよまれ、それから、なくなるといけないからね、と例のテーブルの下の箱にしまわれていることを。カステラ箱にしまわれた伸子の手紙はなくならないかもしれないけれども、ほんのしばらくたてば動坂の人たちは、もうすっかりそれについて、何が書かれているかさえ忘れてしまっているのだ。動坂の人たちは伸子なしで充分自足しているのだから――。
 伸子がいろいろの感情をもって打ちかえして見ている動坂のよせ書きの三頁めのところで、保が数行かいていた。ほそく、ペンから力をぬいて綿密に粒をそろえたノートのような字は、保のぽってりした
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