塔gが集団化され、春の蒔きつけ用の種子がもう計画の九〇パーセント集められたと、各新聞は賑やかに報告して間もないころだった。スターリンの論文はそのような「成功」のかげに行われているいろいろな無理なやりかたについて、おそろしく率直に実例をあげて自己批判をもとめたものだった。コルホーズの成功は一部の指導者たちの間に「一挙にして社会主義の完全な勝利に駆けつけることができるのだから」「吾々はどんなことでもできる」という気分を生じさせた。トルケスタン地方では、農民を武力で脅し、コルホーズに加入したがらない者の耕地には灌水してやらないとか、工業製品を供給してやらないとか脅した指導員があった。伸子は、噂が事実あったことだったのを知った。スターリンの論文は、トルケスタン地方とウクライナ地方とそれぞれちがった条件の見境いもつかないで、「役人風な法令による命令主義、下らない脅迫」紙の上だけの決議や「存在してもいないコルホーズについて自慢たらたらの決議」など巧名をあせる指導員の「政策」を、チェホフの諷刺的な小説の主人公、下士官ブリシベエフ的な「政策」として、批判した。批判の鋤は力づよくごみの山をすきかえしていて、伸子はそこに、おかしな虫けらや、臭い汚物が掘りかえされ、日光にさらされたのを見た。コルホーズ組織の「『容易な』、そして『思いがけない成功』という雰囲気においてのみ発生することのできた」「だらしのない愚劣な気分、即ち『吾々はどんなことでもできる!』」という気分は、「成功で有頂天となって、明確な理智と冷静な見解をしばしば失ってしまった結果としてのみあらわれた」という点を、論文はその冷静な分析のために一層ぬけ道のない印象で追究していたのだった。
伸子が空色ヤカンを下げて通りがかるパッサージの従業員室の壁新聞の上でも、このスターリンの論文は、ずいぶん古びるまで皆からくりかえしよまれていた。論文は、人々の生活感情につよい信頼をよびさましたのだった。なぜなら、コルホーズ化のやりかたにあらわれれて、口から口へつたえられていた無理は、一月の、階級としての富農絶滅のための論文以来、漠然と予感されていたものだった。形のかわった何かの無理、或は馴れない新方式は、たとえばパッサージの経営に人民食糧委員会が新しく人を派遣してよこすような細部にもあらわれて、市民の気持には、何か日々に晴れやらぬ圧迫感めいたも
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