黷ス。伸子は山上が、「自伝」のこととごっちゃにしたのを感じた。
「『自伝』じゃありません。ほかのひとが、あなたについて書いているもののこと」
「ああ、そうか。わかった」
「アムステルダムの会場で、ロシアへの侵略戦争反対のアッピールをなすったことや、大会が戦争反対の決議をしたことや、平民新聞が戦争反対したことや――古いことは、割合しられているんじゃないでしょうか」
「うむ」
ほんの瞬間だが、山上元の皺のふかい顔の上に遠い、とらえどころのなくなったどこかを思い出そうとするような表情が浮んだ。そのかげには、数十年の月日がたたまれているその表情は、すぐ消えた。
「きみは、日本平民新聞を見たことがあるかい」
「いいえ」
「見せてやろうか」
「ほんとに? 持っていらっしゃるんですか?」
「見せてやろう」
再び寝台の置かれている隅へひっこんだ山上元は、伸子が予期したよりずっと短い時間で、窓ぎわのテーブルのところへ戻って来た。
「創刊号からちゃんと揃っている」
テーブルに置かれた平民新聞のとじこみは、二十六年の古びを帯びながら、実によく保存されていて、新聞紙の端さえめくれあがったり、やぶけたりしていなかった。
「まあ、何てちゃんとしているんでしょう!」
伸子は心から感歎した。昔、自分たちが日本で出した平民新聞をこんなに丁寧に今もなお保存しつづけている山上元の気持がわかるように思った。たまに山上元とのインタービューに成功した日本人の新聞記者は、いつも、山上元の郷愁について語った。彼が世界的な日本の革命家としてコミンターンのうちに重要な地位をしめながら、やはり心の底には日本への郷愁をもっていると書いていた。新聞記者などに会ったとき、山上元は、やっぱり伸子とのように、現在の活動にふれない話題をもつだろう。そして、平民新聞の話も出るだろう。山上元が、これほど平民新聞を可愛がっていて、云ってみれば、長年よくも世界じゅうもって歩いて来たものだが、それを日本恋しさからという風に解釈されたら、いかにも笑止千万であるだろうと思えた。このとじこみは、山上元という最も適切な解説者つきで、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に移動して来ている在外日本革命小図書館とでもいうべきものなのだった。
伸子は、腰かけから立って、明治三十六年十一月という日づけからはじまる日本平民新聞を見て行った。幸
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