Qる予定」――。
つぎの一枚は、多計代の字で半ば以上埋められていた。伸子はその頁の上へぼんやり目をおとしたまま、むかし父かたの祖母が田舎に生きていたころ、多計代の手紙を眺めては歎息していたことを思い出した。「おっかさんは、はア、あんまり字がうまくて、おらにはよめないごんだ」と。その祖母は、かけ硯《すずり》のひき出しから横とじの帖面を出しては、かたまった筆のさきをかんで、しよゆ一升、とふ二丁と小づかい帖をつけているひとだった。こうやって、便箋の上から下まで一行をひと息に、草書のつながりでかかれている母の手紙をうけとると、伸子も、当惑がさきに立つ感じだった。簡単に云えば、伸子に母の手紙はよめないと云えた。それでも、それは母の手紙であったから、伸子は読めないと云うだけですまない心があったし、よめないまんまにしておいた行間に、何か大切なことでもあったりしたらという義務の感情で、骨を折るのだった。
さっき一遍よんだとき、読めなかったところをあらためて拾うようにして、その流達といえば云える黒い肉太の線がぬるぬるぬるぬるとたぐまっては伸び、伸びてはたぐまるような多計代の字をたどって行った。伸子は、こまかくよむにつれてはりあいのないような、くいちがっているようなきもちになった。そのよせがきには動坂の人たちが、食堂の大テーブルを囲んでがやがやいいながらてんでに喋っているその場の感じがそのまま映っているようだった。その和一郎にしろ、先月、伸子がきいたオペラについてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の劇場広場のエハガキを書いてやったことにはふれていないで、今年は美術学校も卒業で卒業制作だけを出せばいいから目下のところ大いに浩然の気を養ってます、と語っている。泰造はいそがしさにまぎれてだろう、伸子が特に父あてにおくったトレチャコフ美術館の三枚つづきのエハガキについて全く忘れている。
多計代の文章の冒頭にだけ、この間は面白いエハガキを心にかけてどうもありがとう。一同大よろこびで拝見しました、とあった。けれども、それはいつ伸子が書いたどんなエハガキのことなのか、そして、どう面白かったのか、それはかいてなかった。膝の上にいまこの手紙をひろげている伸子が、もし、それはどのエハガキのことなの? ときくことが出来たとしたら、多計代はきっとあのつややかな睫毛をしばたたいて、ちょっとばつの
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