トいる感じ。だが美しいもの、いとしいもの、それを自分の口からたべようとする人の心。この社会に、渇望をもって生きているということに関連して、都久井の話には伸子の心をつかむものがある。晩秋のヴェルダンの日暮、ドゥモン要塞の霜枯れはじめた草むらの中に、落ちている小さな金の輪のように光っていた一つの銃口。その無言の小さな金の口が伸子に訴えた、そのような生の訴えが、常識のつりあいのこわれた芸術家のふるまいのうちにも疼いているように思われて、伸子は苦しいのだった。
 伸子は椅子から立ちあがった。そして、二三歩自分のいたあたりを歩いた。蜂谷の視線が、アトリエの対角線のところから、伸子を追った。それを無視して、同じところを伸子は一、二度往復し、アトリエのドアの前で向きなおったとき、伸子は、そこに立ちどまった。そして瞬きをとめた目で、蜂谷を見つめた。長椅子の奥にかけている蜂谷と、ドアのところに立っている伸子との間にはそこに人々の顔がある。タバコの煙とコーヒーの匂いと声がある。蜂谷はあまりじっと伸子から見つめられて工合わるそうに身じろぎした。伸子の眼はそれらを見ている。けれどもほんとに見えてはいない。伸子は耳をすましているのだった。伸子の心で、微かにドラが鳴りだしていた。伸子がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ、いよいよ出発するときが来た、そのドラが段々はっきり鳴りはじめているのだった。


    第四章


        一

 七ヵ月前にモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]からのって行ったとき、国境はやっぱりこんな風にして通過されたにちがいなかった。けれども、どうしてだか伸子には、そのときの模様は思い出せない。
 いまベルリン発モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]行きの列車はポーランドの国境駅をあとにして、十二月にも緑の濃い樅《もみ》の原始林に沿って、ゆっくり進んでいるところだった。国境駅を出たときから列車の速力はぐっとおちている。車窓に迫って真冬の緑をつらねている樅の樹の梢に白い煙が前方から吹きなびいて来てからみつき、それが消え、太い枝、次に細い枝と現れる。伸子の視線がそれを追っかけられるのろさで列車は進行をつづけているのだった。
 伸子は、踵のひくい靴をはいている脚を男の子のようにすこし開いて窓に向って立ち、手をうしろにまわし、ベージ色のスウェタ
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