驕B
「しかも価値決定の上のあらゆる本質的要素は、この関係の中にふくまれているのである。今、ロビンソンの明るい島から陰暗な中世ヨーロッパに目を転じよう。ここには独立した人間はいないで――」
 伸子はノートから頭をあげた。
「ちょっと――ごめんなさい。ロビンソンはそれでおしまい? いきなり中世ヨーロッパとなるのかしら」
 中断されて、蜂谷は手にもっているテキストへ視線をおとし、伸子を見ずに答える。
「それでいいんだ」
「『金曜日《フライデー》』は出て来ないの?」
 伸子は、こちらを見ようとしない蜂谷の顔を見て訊いている。
「価値の原形を分析しているこの部分は、フライデーの出現からきりはなして扱われているんだ」
 視線をさけ、まじめな表情で答えている蜂谷の顔に向って、突然伸子の感覚がかきたてられた。その唇にひきつけられて。――だが、蜂谷は心づかない。伸子がどんな渦巻にまきこまれかかったか。――伸子はノートの上に瞼をおとし、自分の動悸とともに蜂谷の声を、すこし遠いところからきく。
「いかなる人も農奴と領主、家臣と藩主、俗人と僧侶という風に相倚存――倚《き》存の倚《き》は倚《よ》るという字ね、ニンベンの――相倚存していることが見出される」

 クラマールの朝と夜は冬らしい寒さになって来た。
「|お早う《ボン・ジュール》、マドモアゼル」
と、朝の八時すぎに伸子の室のドアをノックしてはいって来るベルネのお婆さんの手はますます赤く、彼女は煖炉の火種を運んで来た。
 伸子がまだ寝台にいるわきのジュータンの上へ大前かけの膝をついて、彼女は上手に火をおこした。ベルネの家庭では、朝と夜しか煖炉の火をこしらえなかった。ベルネの家の煖炉を見て伸子はパリの屋根屋根に林立している煙突のどれもが細いわけをのみこんだ。パリの人々は、豆炭を煖炉につかっているのだった。豆炭の熱は、カッときつく顔ばかりのぼせるようで、こころもちがわるかった。煖炉の豆炭がすっかりおこるまで、皮膚をさすような匂いがなくなるまで、伸子は洗面所の窓ぎわで新聞を見ていることがある。
 アメリカの恐慌は、十一月にはいり、月の半ばに進んでも、たしかな安定は見出していなかった。これまでウォール街で働かせられていたヨーロッパの金が、大量に逆流して、ヨーロッパへ戻って来つつあった。ヨーロッパでアメリカの資本輸出とはりあうことのできるのはイギ
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