トいる左腕を心臓のところへあてて重々しく答えた。
「われわれのヴェルダンは、市そのものが記念塔です。ヴェルダンは、沈黙の都です。ここで暮している住民はごく少ししかいません」
伸子たちの今いるところが、もう、その生きている者は少ししか住んでいないというヴェルダン市街のどこかなのだった。
「ほかのかたたちも来てから、みんなで御飯にした方がよくはないかしら」
「――あっちの連中の着くのはどうせ十二時すぎだし、もしすましてでもいたら却って厄介なことになる。僕らは僕らだけですませておきましょう」
むしろ二人だけで食事をすることをいそいでいるように、蜂谷良作は、簡単な昼食を命じた。
「見物にどの位時間がかかるのかしら」
「さあ……四五時間のものだろう。しかし、佐々さんはここを見たら、きっとセダンやメッツへも行って見たいって云い出すんだろうな」
「そうお?」
セダンもメッツも第一次大戦史のなかで有名な地名であった。
「ここから行けるの?」
「メッツは、二時間もかからないんじゃないかな、ここからなら――セダンはランスの北だから、シャロン、ね、さっき通って来た、あの辺で乗換えになるかもしれない」
ランスといえばそこにあるフランス中世期の、美しいことで知られているサン・ルミ寺院の尖塔形が伸子に思い出された。
それにしても、ヴェルダンというここの静けさ! どんなにしずかに話しても、その声が自分に耳だつほどしん[#「しん」に傍点]からひっそりとして、しかも明るいヴェルダン。
澄明な静寂を、いちどきに肉体の影でかき乱すように国際学生会館の小さい一団があらわれた。
「やあ」
「お待たせした」
「食事は?」
「すませた」
「じゃ、コーヒーの一杯ものんで、すぐ出かけるか。――みんな観るには大分時間がかかるらしい話だよ」
ひとくちにヴェルダンとよばれているけれども、見物すべきいくつかの要塞は互に数マイルずつはなれて、国境よりの丘陵地帯に散在しているということだった。
十二
ヴェルダンをまもっているものは人間ではない。獅子である。これは第一次大戦の終りごろ、はげしい十ヵ月間の包囲をもちこたえていた不落のヴェルダンについて云われた言葉だった。その言葉をかたどって、ホテルから一丁ほど歩いた往来の右手にきりたった崖のようにつくられている記念碑の頂には、堂々と横《よこた》わ
前へ
次へ
全873ページ中665ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング