ィいてある長方形の新聞包を脇の下にはさんで出て行った。
「――いそがなければ、いけないかしら」
蜂谷良作は、コーヒー茶碗をもっているもう一方の手首の時計をのぞいた。
「大丈夫でしょう、七時四十分までにモンパルナスへ行けばいいんだから」
ヴェルダン行の近距離列車はモンパルナス停車場から発車した。別の線をとおって行く国際学生会館の日本留学生の人たち四人と、ひるごろヴェルダン駅前のホテルの食堂で落ちあう約束だった。この間、蜂谷と伸子とが国際学生会館へその人々を訪ねたとき、誰もまだヴェルダン見物をしていないことがわかった。ちょいちょい話には出ているんだが、四人で、六人分の自動車代を払う勇気がないんでね。そういう話だった。そのとき、伸子はすぐ、わたしをつれて行って頂けないかしら、とたのんだ。一九一七年から八年、第一次ヨーロッパ大戦の終局に、ヴェルダンという名、ソンムという名は、畏怖なしにはふれられない二つの名であった。ドイツ軍にとって、それらのところは果しない潰滅の谷を意味し、連合軍にとって、そこは、果しない犠牲の谷であった。ヴェルダンをもちこたえた、その沈勇が連合軍の勝利を決定したと語られていた。休戦のとき、はたちにならない娘として偶然ニューヨークにいあわせた伸子は、ヴェルダンという名に対して無関心でいられない感銘を与えられているのだった。
この夏、ロンドンで数週間すごしたとき、イギリスではルドウィッヒ・レーンの「戦争」が非常によまれていて、チャーチルも「戦争」を読む、と、イギリスの政治家らしく雨傘を腕にかけたチャーチルがその本を手にもっている写真が広告につかわれたりしていた。
親たちはつや子をつれて五階にひろい部屋をとっていた。同じホテルの七階の小部屋で、伸子は毎晩その小説の、全く新しい理性と心情とにひき入れられながら数頁ずつ読みつづけた。レーンはドイツ軍の特務曹長として、音楽と花と国歌とで戦線に送り出された兵士たちとともにフランスへ入り、マルヌの戦闘、ソンムのたたかいを経験し、自身負傷した。遂に一九一八年ドイツに革命がおこってカイザーはオランダに亡命し、彼の属していた部隊をこめてドイツの全線が壊滅する。それまでを、レーンは冷静に、即物的に、ヒューマニズムとはどういうものか、戦争とはどういうことなのか、考え直さずにはいられない透徹した筆致で描いているのだった。ヴェ
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