オみぶかいこころもちを与えるやりかたではなかった。
 伸子はフランシーヌの英語を通じてベルネの細君にそのことをどう云っていいかわからなかったし、蜂谷にも告げていない。今夜はベルネの食卓をぬけ出して来ている気軽さばかりでなく、蜂谷と伸子との間にある心理的なひきあいが、彼女の側として恋愛的でないことの自然さが段々会得されて来て、伸子は快活になっているのだった。
 C・G・T・Uの本部で、ゴーリキイの「小市民」の公演をすることになっていた。野沢はその切符を伸子と蜂谷とに一枚ずつくれた。マルチネの家へつれて行ってくれたのが野沢であり、C・G・T・Uの芝居の切符をくれるのが、蜂谷でなくて野沢であり、その野沢は、伸子とまるで別なところで自身の生活を統一させている。
 天体は、宇宙そのものの力で充実しているから運行しながら互にぶつかりあうことが少い。――野沢義二はそんな風に生きようとしている人なのかもしれない。伸子はそう思った。それにくらべると、蜂谷良作は、全体が柔かくてふたしかで、潰れると液汁が出る。自分はどうなのだろう。ぼんやり考えながら、メトロにゆられていた伸子は急に目がさめたように、ああ、そうだ、こんやこそ忘れずに、帰ったら、手紙を書かなければ、と思った。最近になって伸子は、マダム・ラゴンデールの稽古をことわろうと思っているのだった。パリにいるのもあと半月たらずだったから、マダム・ラゴンデールの稽古のために、観たいものの多いパリの十一月の午後のまんなかの時間をうちにいなければならないことは、伸子にとって不便になって来ている。市内から遠くはなれたクラマールまで来るマダム・ラゴンデールのためには、月謝もよけい支払われている。
 あと半月でパリにいなくなる――それは伸子にとってわかり切った計画だった。それがそんなにわかりきっていて、動かせないようにきまっているということが、伸子に奇妙に思えた。

        十一

 人々の眠りをさまさないように、伸子はそっと部屋のドアをあけて、廊下へ出た。階段のところに、やっと白みかかったばかりの初冬のつめたい光が漂っている。伸子は足音を立てないように階段をおりて食堂へはいり、そこを通りぬけて更に台所へ出た。ゆうべ、きちんと後片づけされたまま、けさはまだ誰にも触れられていない台所道具は、煉瓦じきの床の一方にどっしりとすわっている料理用炉だ
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